我らが皇室

2014年1月 4日 (土)

★…安倍首相の靖国神社参拝

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 安倍首相が昨年末12月26日、靖国神社に参拝しました。首相による参拝は2006年(平成18年)8月の小泉首 相以来、7年4カ月ぶりでした。予想通り、中国、韓国が激しく反発して日本政府に抗議してきましたが、加えて今回は、米国からも非難が寄せられました。 「日本は大切な同盟国だが、日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに米国政府は失望している」と、それもいつになく強い調子 です。また、これまで何も言ってこなかったロシアが「遺憾の念」を表明、EU(欧州連合)も「慎重な外交」を求める声明を出すなど、これまでになく波紋を 広げています。

 参拝がなぜ、海外からこれほど批判されるのでしょう……。最大の理由は、先の大戦の戦勝国が日本の戦争責任を問うた東京裁判で「A級戦犯」として裁か れ、処刑された7人が靖国神社に祀られているからです。日本は1952年、サンフランシスコ講和条約を結んで独立を果たしました。条約締結はイコール、東 京裁判の結果を受け入れることを意味します。東京裁判で彼らは、いわゆる「戦争犯罪人」とされました。その7人を靖国は1978年に合祀した。なので、戦 勝国からみれば、そこに参拝するということは、過去の日本軍がやった行為を反省していないのではないか、となるわけです。

 実は戦後、時の首相はかなり自由に参拝していました。いまでは考えられないことですが、昭和天皇による参拝(親拝)も8回あります。ところが…。 1978年に7人が合祀(一緒に祀られること)されて以降、親拝は行われなくなりました。昭和天皇の意志は直接的には明らかになっていませんが、78〜 88年に宮内庁長官を務めた富田朝彦が残した「富田メモ」には、昭和天皇が合祀に不快感を持っていたことを彷彿させる記述があります。

 そう、現在の靖国問題の本質は「A級戦犯」をどう考えるか、ということにあります。彼らはあくまでも戦争指導者という戦犯なのか、あるいは、間違ったこ とをしたが罰も受けたのだから許してやるべきなのか、はたまた、そもそも戦勝国による東京裁判は茶番であり「A級戦犯」として裁かれた彼らも戦争被害者な のか……。そこをどう考えるのかで、先の大戦について解釈は180度変わってくる。だからこそ、戦勝国も敏感にならざるを得ない。合祀後の首相の参拝は 「=東京裁判の否定」という図式で語られることになってしまいました。だから、日本に軍備増強を求める欧米も、このことでは意義を申し立てるわけです。

 一方、今回の安倍首相の参拝は、「だからこその参拝」ともいえます。もちろん、参拝当日に発表された談話「談話を発表し「国のために戦い、尊い命を犠牲 にしたご英霊に対して、哀悼の誠をささげるとともに、尊崇の念を表し、ご英霊安らかなれとご冥福をお祈りした」、「安倍政権の発足したこの日に参拝したの は、ご英霊に政権1年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことのない時代をつくるとの決意をお伝えするためだ」に嘘はないでしょう。しかし、一 方で先の大戦に対する思いの表明でもあったはずです。当時は選択肢がなくて講和条約を結んだけれども、本音では受けれたくない。不当で東京裁判を否定した い、ひいては先の大戦を自存自衛のための戦いであったと国家として定義し直したい……参拝はその意思表示でもあるからです。

 もし、「心の問題だけ」なら、毎日出勤途中に車を降り、本殿に一礼してから官邸に向かえば済むことでしょう。その姿は多くの人の琴線を揺らし、その姿に 国民の戦死者への尊崇の念はいまよりずっと強くなるしれません。しかし、実際はそうではなく、首相は首相として、つまり、国家国民の代表である「公人」と して参拝することで東京裁判史観を否定を暗に表現している。欧米もその本音を知っている。だからこそ、安倍首相を「ナショナリスト」、「歴史を美化する修 正主義者」と批判し、「軍国主義の肯定」、「日本の戦前回帰」という論調で語るわけです。

 もう一つ、今回の欧米からの批判には、そうした理念の問題とは別に、現実の政治の問題として、日中、日韓関係が冷え込んでいる中、さらに摩擦を 起こす参拝をなぜ?ということですね。とくに米国。尖閣諸島を巡る日中対立の中で、日米安保条約が尖閣にも適用されると強調して中国をけん制しています が、日中の対立に巻き込まれるのはまっぴらというのが本音で、米中が直接にらみ合う事態に陥るのは勘弁して欲しいわけです。だから、中韓との関係悪化に繋 がる参拝を避けるよう水面下で日本政府に再三働きかけてきました。そういう経緯があるので、裏切られたという想いが強く、それが「失望」という言葉になり ました。

 その意味では、靖国問題はもう純粋な内政問題とは言い切れません。外国からどう受け取られるか、常にそれを意識しないわけにはいかないからです。よっ て、参拝によるリスクも多い。参拝が戦勝国に東京裁判を認めないという姿勢に取られる以上、国際社会での日本の立場を悪くするのは確実です。中国、韓国と の対立が続いているいま、日本の外交は国際社会をどう惹きつけるかということが重要ですが、強引な中国、狭隘な韓国の姿勢に疑問を感じていた国際社会に 「どっちもどっち」という印象を与えるでしょう。慰安婦問題を人権問題という枠組みでナチスの蛮行に比肩する問題に仕立て上げようと狙っている韓国への追 い風にもなるでしょう。

 中韓との首脳会談も遠のく。中国の習主席、韓国の朴大統領にしてみれば、いつ参拝するか解らない安倍首相と会うこと自体が大きな掛け。会談後に参拝され たら、面子は丸つぶれ、国内から激しいバッシングを受けること必至で、怖くておいそれとは会談に応じられないのです。参拝はそんな彼らに格好の言い訳を与 えることになる。内外で「喜んでいるのは国際社会から頑なと思われていた中韓」という論調が目立つのも、そういう理由からです。

 一方、靖国参拝は、国内的には一宗教法人に首相が公人という立場で参拝することイコール、憲法が定める政経分離の原則に反するという見解も根強くありま す。参拝という行為が「個人の心の問題として」であるとしても、公人としての行動は許されないという批判ですね。そういう視点でこの問題を考える必要もあ るのですが、日本のマスコミは外国の反応を探るだけの大騒ぎ。そんな視点に立った報道が少なく、現場の劣化が露わになりました。「靖国は遠くなりにけり」 なのかもしれません。

 そうした国内的な批判、それを上回る海外からの批判覚悟で首相は参拝しました。もちろん、中韓との関係がこれ以上は悪くならない、また、普天間移転問題 を進展させたことで米国もそうは言ってこない、中韓の姿勢に苛立つ国民からの支持が政教分離問題を吹き飛ばすといった読みもあったでしょう。実際、マスコ ミの世論調査では、おおむね半数が首相の姿勢を評価していて、ヤフーの調査では支持がなんと8割を超えました。内閣支持率も上がりました。

 しかし、スカッとするのは一瞬。関係が悪化したツケはこれから回ってくる上、国に殉じた人たちへの慰霊をどうするかという問題は、実も何も解決していま せん。首相の参拝が諸外国の顔色を見ながら行われたり、行われなかったりという状況は異常としか言いようがありません。国を守るために命を捧げた先人に対 して手を合わせない国がどこにあるでしょう。最も追悼されなければならない人への国家による慰霊が後回し…。これでは、彼らに「あなたの死は犬死」と言っ ているに等しいわけです。明治以降、国家による戦争は天皇の名の下で行われてきました。多くの人がそれに命を捧げたわけですから、彼らに本当に報いるため には、天皇の親拝こそ必要でしょう。

 優先されるべきは、コロコロと変わる首相の参拝ではなく、あくまでも天皇の親拝です。では、天皇が堂々と参拝できるようにすれにはどうすればいい か……。選択肢は二つで、一つは合祀した「A級戦犯」の霊魂を外すこと、もう一つは米国のアーリントン国立墓地のような無宗派の、千鳥ケ淵戦没者墓苑のよ うな国立の追悼施設を設けてそこに天皇が参拝する、そのどちらかです。

 しかし、合祀を取り消すことについて靖国神社は、いったん神として祀られた霊魂は分けることはできず、分祀を政府に強要されるのは、“信教の自由への弾 圧”であると主張しています。政治的な本音は東京裁判史観(東京裁判を正しいと考える歴史感)の否定にあるとしても、それはそれで神道の教義に基づいた まっとうな反論であり姿勢で、だからこその「ヤスクニ」でしょう。だから、「ヤスクニ」は自分たちの考えに基づいてこのまま7人をお祀りすれば良いので す。

 なので政府は、新しい戦没者施設の建設を急ぐべきです。硫黄島で収集が続いている遺骨も継続的に千鳥ケ淵戦没者墓苑に納骨されていますから墓苑を拡充し ても良いでしょう。墓苑には宗教的な絡みがないため、各種宗教団体の慰霊行事が一年を通じて行われ、5月の拝礼式、秋季慰霊祭には首相や皇族方も出席して います。実は昨年10月、日米安全保障協議委員会のため来日したケリー国務長官とヘーゲル国防長官が墓苑を訪れ献花しています。米国の閣僚の献花は戦後 初。戦勝国として大きな変化だったわけですが、一方で献花は、日中関係の悪化に繋がる靖国神社参拝を避けて欲しいという米国からのシグナルでし た。

 新しい慰霊施設については2002年、当時の福田官房長官の私的懇談会が設置を検討すべきという報告書をまとめています。安倍首相は昨年5月の参議院予 算委員会で「参拝が問題になっているから別のものを造ろうというのは間違い」、「靖国神社が慰霊の中心的な施設であるのは、遺族が靖国神社に行けば、魂が 触れ合うことができると思うからだ。国が施設を造っても、そう感じなければ誰も行かない。参拝が問題になっているから別のものを造ろうというのは間違い だ」と述べ、設置に否定的です。しかし、参拝に東京裁判史観の否定の意味合いを込めていることは明かです。つまり、自分の政治的な主張の実現を優先させて いるということです。それが優先されて、親拝が実現出来ないというのでは本末転倒です。

 私はなにも、その新しい慰霊施設が、「A級戦犯」合祀に対する海外からの批判をかわし、国内的には政経分離の原則に反するという批判をスルーできるとい うことだけで建設を求めているのではありません。実は「A級戦犯」7人が気の毒なのです。7人はどんな想いで死を迎えたのでしょう。汚名を着ての無念の死 だったのか。私はそうではないと想うのです。敢えて戦犯として裁かれる辱めを受け、自分が犠牲となることで、日本という国家、国民が許されるのなら本望と いう想いで逝ったと思うのです。しかし、現実はどうでしょう…。自分たちが合祀されたことで、250万人の「英霊」に対する天皇親拝ができなくなってし まったというのでは、心安らかに眠れないでしょう。

 先の戦争は「A級戦犯」だけに罪を被せて済む問題ではありません。精神論を掲げて勝ち目のない戦争に導いた軍部も、戦争を煽ったマスコミも、日本の戦勝 に熱狂した国民の責任もまた大きいはずです。そしてみんな、戦争に負けた途端に知らん顔…。そこに見て取れるのは、空気に合わせて動く、言ってみれば「一 億総無責任体質」です。そして、空気で戦争に突入しました。敗戦後は一転、「終わった戦争のことで」お互いに傷付けられたくないという空気に変わり、その 結果、日本人は先の戦争について自らの手で総括することなく戦後を過ごしてきたのです。

 その結果、戦争があるということを前提にして設立された靖国神社は「ハシゴを外され」、「聖地」は一転して「軍国主義の象徴」として学校で教えられるよ うになりました。東京裁判で「A級戦犯」という烙印を押され、処刑された7人についても、日本人の心の中に「推定有罪」のまま放置されています。そして、 自分たちの物差しを持たないが故、歴史問題で常に海外の顔色を窺うことに汲々とせざるを得なくなりました。

 サンフランシスコ講和条約締によって作られた戦勝国中心の枠組みを本当に壊すのであれば、いま一度、戦勝国との戦争に勝つしかないでしょう。しかし、そ れは不可能ですね。そんな状況にありながら、後世の人間が参拝を通した抗議の姿勢を見せているだけで良いのか……。7人の気持ちに想いを馳せるなら、静か に彼らの慰霊が行われる環境を整えることこそ、さらに天皇親拝への道を開くことこそ、いまを生きる政治家のすべき使命だと思うのです。彼らの死も犬死にし たくない人間は、これからも彼らを祀る「ヤスクニ」にも参拝するでしょう。少なくとも私は。
 






2013年10月 8日 (火)

★…丹南倫理法人会で「天皇制と女性宮家」というテーマで講演


 きょうは丹南倫理法人会が行っている朝の6時からのモーニングセミナーに招かれ、「天皇制と女性宮家」というテーマで話をしてきました。約30人の人の前で話をしてきたのですが、早い時間にもかかわらず、私の話を熱心に聞いてくれました。終わって朝食をご一緒したのですが、みなさん朝から本当に精力的で圧倒されました。話した内容は以下の通りです。

●なぜか消えた女性宮家の話

 ついこの間まで、「女性宮家」の創設という言葉をよく耳にしました。民主党政権下の昨年2~7月にかけ、ジャーナリストや有識者ら10人を招いて「皇室制度に関する有識者ヒアリング」が行われ、ちょうど1年前の10月5日には「女性宮家」の創設についての論点整理も政府から発表されました。

 ところが…。最近、この「女性宮家」という言葉を聞かなくなりました。なぜでしょう。それは、いまの安倍政権がこれまでの天皇制を、これまでのスタイルで維持したいと考えているため、それを変えることに繋がる「女性宮家」の創設に力を入れなくなったからです。ではなぜ、「女性宮家」の創設が、これまでの天皇制のスタイルを変えることに繋がるのか、それを考えましょう。

●「女性宮家」は「婿を迎える」宮家

 そのためにはまず、「女性宮家」とは、どんなものかを知らないといけません。「女性宮家」とは? 簡単に言ってしまえば、一般人の世界のように「婿を迎える」ことで、「家を継いでもらう」宮家です。

 というのも、皇室のことを取り決めている法律である「皇室典範=こうしつてんぱん」では、女性皇族は、結婚されると「臣籍降下=しんせきこうか」され、皇族でなくなるからです。

 では、ここで質問です、いま宮家はいつくあるでしょう? 答えは………天皇家を含めると、常陸宮家、秋篠宮家、三笠宮家、桂宮家、高円宮家の6家ですね。では、それぞれの跡継ぎは………。天皇家の跡継ぎは? そう、皇太子殿下ですね。そしてそのお子さんは、愛子内親王です。

 しかし、女性皇族はいずれ「臣籍降下」される。いまのままでは皇太子家(東宮家)もいずれ廃絶ということになります。常陸宮家にはお子さんがいません。三笠宮家も、髭の殿下と親しまれ、宮家を嗣ぐはずだった寛仁(ともひと)殿下が昨年亡くなられました。桂宮家は宜仁(よしひと)殿下が当主ですが独身です。となると、それらの宮家も、いずれ廃絶されることになります。そして、このままでは、30年もすると、皇族は秋篠宮の悠仁(ひさひと)殿下だけになる可能性が大きいのです。

 そこで苦肉の策として考え出されたのが、女性皇族が結婚されても「臣籍降下」せず、「婿を迎える」ことで「家を継いで」もらおうというわけです。ところが、この「女性宮家」を作るための「婿を迎える」という方法が、これまでの天皇家、宮家の継承の在り方とまったく相容れないのです。どういうことか……。こと天皇家、宮家においては、長い歴史の中で「婿」を迎え入れたことがないのです。

●2700年以上続いてきた男系継承

 実は、天皇制は、父方の血を継いでいく「男系継承」 でシステムが維持されてきたのです。つまり、民間のように形式上の「家」を継いでいるわけではないのです。その点で、西欧の王室の王位継承ともまったく違います。良くも悪くもこれが今も続く天皇制の最大の特徴で、こうした皇位継承システムは世界でも日本にしかありません。もちろん、宮家にしても、父方の血の継承のためのスペアという意味合いを持っていますから、天皇家と同じようなスタイルで継承が続いてきました。

 では、天皇制はなぜ「男系継承」で繋いできたのか…。それは男性が「XY」、女性が「XX」という遺伝子を持っていて、男子は父から「Y」を、母から「X」を受け継ぎ、女子は父から「X」を、母から「X」を受け継ぐことに関係しています。つまり、女子は父から「X」しか引き継がないのです。
 [男子]父から「Y」を、母から「X」をもらう
 [女子]父から「X」を、母から「X」をもらう

 つまり、「男系による継承」とは、「Yの継承」でもあるのです。例えば、皇太子家の愛子さまは天皇になれますが、愛子さまには「Y」が継承されてないので、愛子さまの男子でも天皇にはなれません。ただ、戦後GHQの指令で廃止された11宮家の男子のような、「Y」を継承している男子と結婚されて、そこに生まれた男子には「Y」が引き継がれるので彼には継承権が生じます。愛子さまの女子が男系天皇の男子と結婚しても同じです。そう、愛子さまの血筋よりも、愛子さまの娘の夫の血筋が優先するということですね。

 ところが、「女性宮家」の創設に踏み切ると、宮家の話とはいえ、「婿による新しい男系」を迎えるという点で、時点で「Y」は婿方の「Y」に変わってしまいます。それはこれまでこだわってきた「男系継承」の放棄です。

 そして、次の代も、そのまた次の代も、また違った「Y」が入ってくる。そうなると、天皇家はどの血筋を継いでいるのか解りません。もう民間の「家」を継ぐスタイルと一緒です。そして、それが宮家の範囲ではなく、天皇家にまで及ぶと、天皇制の中味がすっかり変わってしまうことになりますね。
 そう説明すれば、天皇制をこれまでのスタイルで(つまり男系継承)を維持したいと考えている安倍政権が、それを変えることに繋がる「女性宮家」の創設に力を入れなくなった理由も解って貰えると思います。

●「女性天皇」と「女系天皇」は一字違いで大違い

 こういう話をすると、「しかし、女性の天皇がいたではないか」という人がいます。その通りで、実際に8人の「女性天皇」がいました。ただ、よく調べてみると、「男系継承」するために即位していることが解ります。お父さんの血を引いている息子が大きくなるまで、あるいは、孫に引き継がせるまで………お母さんがピンチヒッターに立つということです。そして、そういう形で即位した天皇を「女性天皇」と言います。一方、一字違いで「女系天皇」があります。これは母方の血を受け継いだ天皇のこと。一字しか違わないのでよく混同されますが、まったくの別物です。

 もう一つ、民間人から皇族になった女性はたくさんいます。日本人が錯覚していることの一つに、現在の皇后陛下が皇室に入った民間女性代一号と思われていることです。しかし、それは間違いで、昔から民間の女性はどんどん皇室に入っているのです。藤原氏、平氏、徳川氏しかり………。答えは簡単で、皇族の女子であろうが、民間の女子であろうが、「Y」の継承には影響がないからです。テレビドラマでは、どちらも同じような服を着て、同じような格好をしていますから混同しがちですが、貴族といえども、皇族の「Y」を受け継いでいない人は、あくまでも民間人なのです。

 もう一つ、「男系継承」を続けていることで、天皇制が女性差別のように思う人がいるかもしれません。ただ、よく考えてみてください………。民間の女性は結婚と同時に皇族になることが出来るのに、「男系継承」の天皇制の下では神武天皇の男系子孫以外を徹底して排除していて、男性で皇族になった人は一人もいません。つまり、ある意味とんでもない男性差別なのです。しかし、それも時の権力者と一体化することを防ぐためのアイデアで、「天皇はあくまで現世の権力者のものではなく、まったく単独の血筋で天皇として存在しなければならない」ということを担保するため、日本人が生み出した、素晴らしい知恵でもあるのです。

●綱渡りの天皇制

 とはいえ、「Y」の継承はそれほど簡単ではありません。そこで昔は側室制度があって、「Y」のコピーをとにかくたくさん作りました。昔は今と比べて、子供がちゃんと成人するところまで育つこと自体が難しかったからです。では、ここでまた質問です。明治天皇には子どもが何人いたでしょう? 答えは………15人ですね。しかし、15人のうち男子は5人、しかも、その5人の中で成人したのは、明治天皇の第3王子である大正天皇ただ一人というような状況だったのです。そして、その大正天皇は、明治天皇と昭憲皇太后との間の王子ではなく、明治天皇の側室である柳原愛子との間の王子でした。

 徳川家もこの天皇制と同じことをやり、側室を揃えた「大奥」を作りました。「大奥」は将軍がたくさんの女性と交わるためだけに作られたわけではなく、将軍の「Y」の継承を続けるために存在してきたのです。さらに将軍家以外に御三家(紀州・尾張・水戸)を作り、「Y」の継承を維持し、後年には御三卿(田安・清水・一橋)を作り、「血のスペア」をさらに厚くしています。それほどのことをしないと、「Y」の継承は維持できないというわけです。

 その意味では、いまも天皇制は綱渡り状況なのです。現状では、今上陛下→皇太子殿下→秋篠宮さま→悠仁(ひさひと)親王までは皇位継承順位が確定していますが、悠仁さまが子どもを設けられる前に亡くなってしまったら、あるいは悠仁さまのご夫妻に男子が誕生しなかったら…。天皇制の危機です。

 そこで「女性宮家」という話が浮上してきたわけですが、「女性宮家」を創設するのであれば、やはり「男系継承」と「女系継承」をどうするか、という問題を避けて通れません。やはり、そこに戻って来るわけです。

 「家」を継ぐのであれば、男子でも女子でも関係ないでしょう。つまり、西欧の王室のように、いわゆる「家」を継ぐスタイル、つまり、「Y」か「X」のどちらかを継いでいればいいのではないかという意見があります。そしてそれが認められるのなら、愛子さまへの皇位の継承も考えられます。

 一方で、天皇家を、そういう一般的な存在にしても良いのかどうかです。天皇制には「Y」を延々と引き継いできたからこそ価値がある、つまり、「生きた世界遺産」のようなものとして考え、これを壊してしまうのはもったいないと考えるのか。また、そうでなくなった天皇制は果たして支持されるのか、という疑問も湧きます。

 絶対に「男系継承」でなけえればならない、そう考える人たちからは、「男系継承」のための「血のスペア」であった旧皇族の人たちに皇族に復帰してもらうという声も上がっています。実にさまざまな意見があります。 

2013年1月24日 (木)

★…北ロータリークラブで「女性宮家問題」


 23日は鯖江市北部の神明地区にある北ロータリー・クラブで話をしてきました。テーマは「女性宮家」の話です。日本が誇る天皇制がこれまで男系継承を貫いてきたこと、「女性宮家」の創設はそうしたこれまでの経緯と相容れないものであること、そういったことを話しました。

 宗教的な匂いがすると話がややこしくなるためか、天皇制支持者もいまは神道との関係について語りませんが、「神様の元締めが天皇」という考え方に立てば、天皇制は日本人の中を貫く、一種の宗教のようなものです。そういう性格であれば、そこに特有のルールがあるのは当然で、その一つに「男性継承=父方の血を受け継いでいくということですね」があるわけです。「女系継承」を認めるというのは、その根幹部分に関わる問題なのです。

 この日の参加者の皆さんはよく勉強していて、「女性天皇」と「女系天皇」の違いについてちゃんと理解されていましたが、その違いを知らないまま「女系天皇容認」が語られたり、「男性継承」が男尊女卑といった問題に矮小化されて語られていることが多くて残念です。これからも、「男性継承」について、もっと多くの人に語っていこうと想いを強くしました。

2012年10月 8日 (月)

★…きょうのニュース解説 [ 10月8日 ] 野垂れ死にする「女性宮家」創設


 政府が5日、皇室活動を維持するため、女性皇族が結婚後も皇室にとどまる「女性宮家」の創設について論点整理を発表しました。その中で「女性宮家」の対象者は女性皇族のうち、天皇の子や孫に当たる「内親王」に限定しつつ(内親王は現在、皇太子ご夫妻の長女・愛子さま、秋篠宮ご夫妻の長女・眞子さま、次女・佳子さまの3方です)、(1)結婚後も皇族の身分を維持する女性宮家の創設を優先して検討していく(2)結婚して皇籍を離脱した内親王が国家公務員として皇室活動を支援する、の2案を併記した内容です。

 さあ、いよいよ政府が「女性宮家」の創設に舵を切った、そう思い人も多いでしょう。しかし、私から見れば、この時点で論点整理しか出せなかったことは、政府が手詰まり状態に陥っていることの証明です。「女性宮家」の創設が「皇位継承問題」と「女系天皇」に道を拓くことに直結しているのに、政治問題化するのを怖れた政府は「皇位継承問題とは切り離す」としました。そこにまず無理があるため論点は行き場を失いました。その結果、政府としても明確な方向性を打ち出せんでした。そこで有識者の意見を提示する論点整理を出してお茶を濁した格好です。

 そもそも、今回の「女性宮家」の創設は昨年秋、当時の羽毛田信吾・宮内庁長官が野田首相に検討を要請したことが始まりです。背景には「女性皇族方の結婚で皇族の数が減ってしまい、皇室全体の活動に支障が生じる」ことへの危機感があります。現在の皇室典範12条では「女性皇族が天皇および皇族以外の者と婚姻した時は皇族の身分を離れる」と規定されているからです。そこで政府は、この2~7月にかけてジャーナリストや有識者ら10人を招いて「皇室制度に関する有識者ヒアリング」を行い、皇室典範の改正について検討を続けてきたわけです。

 ところで、その前に「女性宮家」の創設がなぜ「皇位継承問題」と「女系天皇」に道を拓くことになるのか、まずそれを説明しなければいけませんね。「女性宮家」を創設するということは、そこに「婿」を迎えることです。一般人の世界では「婿」を迎えて「家」を継いでいくというのはよくある話ですが、天皇家、宮家においては、長い歴史の中で「婿」を迎え入れたことがないのです。というのも、父方の血を継いでいく「男系継承」が維持されてきたからです。そして、「男系継承」による天皇が「男系天皇」です。

 では、なぜ「男系継承」で繋いできたのか…。これまで何度か書いていますが、男性は「XY」、女性は「XX」という遺伝子を持っていて、男子は父から「Y」を、母から「X」をもらい、女子は父から「X」を、母から「X」をもらうことに関係しています。女子は父から「X」しか引き継がない。そこで、男子から男子に繋いで「Y」をリレーしてきたのです。つまり、「男系継承」による天皇制とは極論すれば、「Y」の継承による天皇制ということなのです。

 そこで昔は側室制度を設けて、「Y」のコピーをたくさん作ったのです。昔は今と比べて、子供がちゃんと成人するところまで育つこと自体が難しく、明治天皇の時でさえ、15人の子供がいてうち5人が男子、その5人の中で成人したのは大正天皇ただ一人というような状況だったのです。さらにそれでも駄目だった場合は、「Y」を引き継いでいる分家から跡継ぎを探してきました。つまり、民間のように形式上の「家」を継いでいるわけではないのです。その点で、西欧の王室の王位継承ともまったく違うのです。良いも悪いも、これが今も続く天皇制の最大の特徴で、こういうシステムは、世界でも日本にしかありません。

 こういう話をすると、女性の天皇がいたではないか、という人がいます。実際、8人の「女性天皇」がいました。しかし、調べてみると、「男系継承」するために即位していることが解ります。お父さんの血を引いている息子が大きくなるまで、お母さんがピンチヒッターに立つということです。そして、そういう形で即位した天皇を「女性天皇」と言います。一方、一字違いで「女系天皇」があります。これは母方の血を受け継いだ天皇のこと。一字しか違わないのでよく混同されますが、まったくの別物です。

 日本人が錯覚していることの一つに、現在の皇后陛下が皇室に入った民間女性代一号と思われていることです。しかし、それは間違いで、昔から民間の女性はどんどん皇室に入っているのです。藤原氏、平氏、徳川氏しかり。というのも、「Y」の継承には影響がないからです。一方、男性で皇族になった人は一人もいません。「男系天皇」制というと女性差別のようにもみえますが、民間の女性は結婚と同時に皇族になることが出来るのに、「男系天皇」制の下では神武天皇の男系子孫以外を徹底して排除しているのです。ある意味とんでもない男性差別ですが、それも時の権力者と一体化することを防ぐためのアイデアで、「天皇はあくまで現世の権力者のものではなく、まったく単独の血筋で天皇として存在しなければならない」ということを担保するための、日本人が生み出した知恵でもあるのです。

 さて、話は戻ります。「女性宮家」の創設に踏み切ると、これまで引き継いできた「Y」がそこで途切れ、その時点で「Y」は婿方の「Y」に変わってしまいます。そして次の代も、そのまた次の代も、また違った「Y」が入ってくる。それではどの血筋が続いているのか解りません。そうなると、もう民間の「家」を継ぐスタイルと一緒です。それはこれまで続いてきた「男系天皇」制の放棄であり、「女系天皇」制に転換することを意味します。つまり、ことは宮家だけの話ではなく、天皇制そのものに関わる問題なのです。だからこそ、「女性宮家」の創設を語るのであれば、先に「皇位継承問題」と「女系天皇」を語る必要があるのですが、政府はそこを素通りして失敗しました。

 論点整理では、「女性宮家」を創設する場合について、夫と子どもについても二案を併記しています。皇族とする案と皇族にはしない案の二つで、後者は家族で身分が異なることになるため、戸籍の扱いや財産の授受などが課題としています。一方、女性宮家を創設しない場合については、女性皇族が皇室を離れた後も皇室の活動を支援できる仕組みとして二つのアイデアに触れています。一つは「内親王」などの尊称を与える案で、これは検討した結果、法の下の平等を定めた憲法に抵触する可能性があるため困難としました。そして、なんとその代わりに国家公務員として公的な立場で活動できるようにするという案を示しました。

 しかし、これは有識者ヒヤリングでも出ていなかった仰天のアイデア。政府はこのアイデアが浮上した理由を「全くの私人では公費による支援が難しい」と説明していますが、土壇場で無理矢理捻り出したような稚拙さです。さっそく識者からは「国家公務員と宗教色の濃い神宮祭主といった立場との整合性をどうする」といった反論続出です。

 藤村官房長官は、今回の論点整理についてこれから2カ月間かけてパブリックコメントを実施して広く国民の声を集め、「国民的な議論を経て、素案を作っていきたい」とした上で、皇室典範の改正について「必要ならば手続きが始まる。国会提出は来年になると思うが、厳密には決まっていない」と述べています。しかし、民主党内だけをみても意見集約は厳しいでしょう。自民党はもう反対の声を上げています。結局、民主党が手がけた皇室典範の改正はこのまま漂流を続け、やがて消えることになるでしょう。

2012年6月 7日 (木)

★…三笠宮寛仁親王殿下が薨去

 

 三笠宮寛仁(ともひと)親王殿下がきのう6日午後3時過ぎ、入院先の佐々木研究所付属杏雲堂病院で薨去(こうきょ)されました。「ヒゲの殿下」の愛称で親しまれた殿下は、昭和天皇の弟宮・三笠宮さまの長男で、天皇陛下のいとこに当たります。学習院大を卒業した68年から2年間、英国のオックスフォード大学に留学。80年に吉田茂元首相の孫で、麻生太郎元首相の妹・信子さまと結婚、彬子さま、瑶子さま、2人のお子様に恵まれました。日英協会や日本ノルウェー協会の名誉総裁として国際親善に務める一方で、ご自分を「福祉の現場監督」と呼んで、福祉団体の会長を務めて障害者の自立を支援したり、学生時代に磨いた技術を活かして障害者のスキーの指導に当たったりと、障害者福祉に積極的に取り組まれてきたことで知られます。

 一方、皇族としては型破りなところもありました。若い頃にラジオのディスクジョッキーを務め、雑誌などで皇族論などを披露。82年には「障害者問題などに専念したい」として、突然「皇籍離脱」を宣言して世間を驚かせました。また、小泉政権下の皇室典範に関する有識者会議が女系天皇容認の方針を打ち出した時には、会長を務める福祉団体の機関誌にエッセーを寄稿し、新聞や月刊誌のインタビューに応えるなどして、初代の神武天皇から連綿と男系が続いているからこそ皇統は貴重という考えから「会議の構成に私が口を挟むわけにはいきませんが、二千六百六十五年間も続いてきた世界でも類を見ない、まことに稀有な伝統と歴史を、一年、わずか十七回、三十数時間の会議で大改革してしまうことが、果たして認められるのでしょうか、あまりにも拙速すぎませんか」=「文芸春秋」2月号=と世に問われました。

 殿下について書くとなると、66年の生涯のうち、20年にもなるガンとの戦いに触れないわけにはいきません。91年の食道ガン以来、何度も手術を受け、そして公務に復帰されるの繰り返しでした。昨年末にがんの右あごへの転移が判明、今年1月と3月にも手術を受け、退院は適いませんでした。手術はなんと16回を数えます。ガン以外にも、2007年にはアルコール依存症であることを公表、2008年の手術では自力で声を出せなくなり、人工喉頭を使っていましたが、そんな体調の中、去年5月には宮城県を訪れて東日本大震災で被災した人たちを励ますなど熱心に公務に取り組まれてきました。

 実は10年くらい前、ある音楽家の自宅で、殿下と信子妃殿下、音楽家夫妻と食事をご一緒したことがあります。殿下、妃殿下の丁々発止としたやりとり、あまりに屈託ない話にあっという間に時が過ぎましたが、仲睦まじいご夫妻の様子が強く印象に残っています。お二人の初めての出会いは、信子さまが小学生の時。殿下は72年の札幌オリンピックの大会組織委員会事務局に勤めたのですが、それが終わると、17歳の誕生日を目前にした信子さまにプロポーズされます。しかし…。さすがに若過ぎると周囲は反対、7年後に「いろいろトータルに考えてみて、やっぱり彼女が一番いい」と再びプロポーズ、長年の恋を実らせました。

ところが…。妃殿下は2004年に脳虚血発作の後、軽井沢で療養生活に。06年に2年ぶりに宮邸に戻られましたが、それから赤坂御用地内に建てられた別棟での生活です。殿下は07年に米「ニューヨーク・タイムズ」紙のインタビューを受け、「結婚生活も26年におよび、家庭内にもいろいろな難しい問題がある」と話されていますが、あのお二人の姿を拝見出来なくなったことは残念でした。

 この時もインタビューでは、皇室についてもさまざまな問題があると、殿下は率直に指摘されています。一例として、皇太子さまの「皇太子妃の人格否定」会見を取り上げ、「皇太子に長い手紙を出し、詳しい説明を求めた。返事があれば、いくらか前進することができたであろうが、私の意見に礼を述べた返事しかなかった」といった秘話も明らかにされています。世間にもの申す、東宮家にもの申す、それで周囲にどう思われても厭わないという殿下の勇気ある行動は、皇室のことを本当に考えていればこそだったと思います。女性宮家創設が議論され、皇室が大きな転換点にある今、殿下がなくなられたことが残念でなりません。



2012年5月13日 (日)

★…ロータリークラブで「女性宮家」

金曜日は午後から、「鯖江ロータリークラブ」で、女性宮家創設を巡る動きについて話をしてきました。ロータリークラブでは毎回、ゲストスピーカーを呼んで「卓話」というのを行っているのだそうです。郷里の先輩たちの前で話をするのは光栄なこと。20数人のメンバーたちが熱心に話を聞いてくれて感激です。店でやっているニュース解説「ニウスな夜」の第一夜で話した内容とほぼ同じですが、その後、政府の有識者へのヒヤリングが始まったこともあり、新しい動きに付いても触れました。

日本の天皇制は「男系天皇制」で続いてきたこと…、そのやり方は世界でも日本にしか残っていないこと…、そのやり方が難しくなってきていること…。女性宮家創設については「女系天皇制」の導入という批判があること…、一方で、それが「男系天皇制」が将来駄目になった時、なんとか天皇制自体を続けていくために導入されようとしていること…。メンバーの中にはお客さんとしてお店に来てくれる人もいて、店ではハチャメチャな人も、話が話だったからか、この日は神妙な面持ちで私の話を聞いてくれました。

2012年3月15日 (木)

★…ニウスな夜「第一夜」


 「最近のニュースをどうとらえたらいいのか、それを俺たちにも解るよう解説してくれよ」。そんな同級生H氏の言葉がきっかけで、私が時事ニュースを解説する月一回の「ニウスな夜」というのを立ち上げました。その第一夜がきのう14日の夜でした。

 今回のテーマは、つい先日も国会で取り上げられた「女性宮家の創設について」、です。まあ、テーマもテーマですから、当日まで何人が集まってくるのか疑問に思っていましたが、H氏の呼びかけもあって10人が参加してくれてびっくりです。それで私が40分ほど話をしたのですが、なんとそれから約2時間、参加者からずっと質問が続くではないですか。正直、ちょっとびっくりです。

 細かいことを書くとこれまた大変なのですが、話した概要はこんなことです。女性宮家を創設するということは、歴史上初めて男性を皇族に入れる、ということに踏み切ることを意味している→それを天皇家にも当てはめていくと、これまでの「男系天皇制」を放棄することになる→それは日本の天皇制の上で初めて「女系天皇制」となることを意味し、これまでとはまったく別のシステムで運営していくことになるのだ、という話です。 

 日本の天皇制は約2700年続いていますが、これまではずっと「男系天皇制」で運営されてきました。「男系天皇制」とは、男性天皇の子の男子、その男子の子の男子、そのまた男子の子の男子がそれを継いでいくシステムのことです。

 生物学的な観点から言うとこうなります。男性は「XY」、女性は「XX」という遺伝子を持っていて、男子は父から「Y」を、母から「X」をもらい、女子は父から「X」を、母から「X」をもらうのです。女子は父から「X」しか引き継がない。そこで、男子から男子に繋いで「Y」をリレーしていくというのが、「男系天皇制」なのです。

 なので「Y」が途切れるようなことがあっては一大事。そこで昔は側室制度があって、「Y」のコピーをたくさん作ってきました。昔は今と比べて、子供がちゃんと成人するところまで育つこと自体が難しく、それほど昔でもない明治天皇の時でさえ、15人の子供がいて、うち5人が男子でしたが、成人したのは大正天皇ただ一人というような状況だったのです。それでも駄目だった場合は、「Y」を引き継いでいる分家から跡継ぎを探してきました。良いも悪いも、これが今も続く天皇制の最大の特徴で、こういうシステムは、世界でも日本にしかありません。

 こういう話をすると、女性の天皇がいたではないか、という人がいます。実際、過去に8人の「女性天皇」がいました。しかし、調べてみると、天皇が若くして死んだ場合などの時に子供や孫が即位するまでの間を繋いだような形で天皇となっていることが解ります。そして、そういう形の天皇を「女性天皇」と言います。「女系天皇」とは文字が一字しか違いませんが、まったくの別物で、多くの場合、このことが混同されています。

 日本人が錯覚していることの一つに、現在の皇后陛下が皇室に入った民間女性代一号と思われていることです。これはとんでもない間違いで、藤原氏が権勢を振るっていた平安時代から、民間の女性はどんどん皇室に入っているのです。平家しかり。徳川家しかり。「Y」の継承には何の影響もないからです。

 一方、男性で皇族になった人は一人もいません。「男系天皇制」というと、女性差別のようにもみえますが、民間の女性は結婚と同時に皇族に入ることが出来るのに(藤原氏の娘たちのように)、「男系天皇制」の下では神武天皇の男系子孫以外を徹底して排除してきたわけです。とんでもない男性差別ですが、それは時の権力者と一体化することなく、天皇はあくまで現世の権力者のものではなく、まったく単独の血筋で天皇として存在しなければならない、ということを担保するための、日本人が生み出した知恵でもあるのです。

 女性宮家を導入すれば、国民も、ましてや政府も選べない婿が皇室に入ることになりますね。これまで引き継いだ「Y」が途切れることにもなります。すると、どうなるか。権力者の男子が婿として皇族となると、その時点で「Y」は権力者の「Y」に変わってしまいます。そして次の代も、そのまた次の代も、また違った「Y」が入ってくることにもなりますね。それではどの血筋が続いているのか解りません。そうなると、民間の「家」を継ぐ、という形と一緒になってしまいます。つまり、天皇制は、形式上の「家」を継いでいるのではなく、「Y」を引き継いでいるところが一般とまったく違い、西欧の王室の王位継承ともまったく違うのです。

 問題は、その点をどう考えるか、でしょう。「家」を継ぐのであれば、男子でも女子でも関係ありません。そういう一般的な存在にしても良いのか、どうかで、きのうも議論百出でした。天皇制を「生きた世界遺産」として考え、これをこれを壊してしまうのはもったいないという意見。「Y」を延々と引き継いできたからこそ価値があり、そうでなくなった天皇制は果たして支持されるのか、という意見。西欧の王室のように、いわゆる「家」を継ぐスタイルにしてしまえばいいのではないか、「Y」か「X」のどちらかを継いでいればいいのではないか、という意見。そうするにしても、第一子が「家」を次いで、第二子以降は男女の別なく皇族を離れていくのかーーそうしないと皇族はどんどん増えていってしまいます。それとも男子優先でいくのか、そうなると、それこそ「Y」のリレーもないのに男女差別をしていることになる…。

  幸いなことにこの夜、参加者たちには、「女性宮家」の創設は、まずは皇族の中での「男系」をやめ、やがてそれを天皇家にも広げるための布石という意味合いを持っているということはちゃんと伝わりました。どのスタイルを選ぶか、我々はそういう時代にいるということも。


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