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2014年11月

2014年11月28日 (金)

★ … 映画「フューリー」がアカデミー賞!?

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映画「フューリー」を封切りの日に観てきました。アカデミー賞有力候補の呼び声も高い話題の映画です。「見たよ!」を告げると、店のお客さんからあれこれ意見を訊かれるのですが、ちょっと残念な出来でした。第二次世界大戦終盤が舞台で、主演のブラッド・ピットとその部下たちが乗り込んでいる「フューリー」と名付けられた戦車の乗組員の物語です。戦闘の場面などのリアルな描き方には脱帽です。その脇を固める俳優たちの熱演にも感心します。ただ、ある意味でリアルでないのです。いちばん気になるのは、ドイツ軍の素っ気ない描き方でしょうか。


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戦後しばらく、映画の中のドイツ軍はあくまでも悪役で、現れては次々に打ち倒されるだけでした。昔放映されたテレビ番組「コンバット」の中で描かれていたドイツ軍がその典型でしょう。その流れを大きく変えたのが、1977年に制作された「戦争のはらわた」で(名匠サム・ペキンパー監督の最高傑作です!)、この映画はドイツ軍の将兵一人ひとりに光を当てながら戦争の悲惨さを見事に描き切りました。1981年に公開された「U・ボート」がそれに続き、ドイツ軍の描き方はぐっと人間的になりました。そういうところが「フューリー」にはないのです。


映画のクライマックス、数々のピンチを乗り越えてきた「フューリー」は地雷を踏んでキャタピラが千切れ、ついに立ち往生します。そこへ200人を超えるドイツ軍の武装親衛隊が迫ってきて最後は新兵一人を残してみんな戦死するのですが、歴戦を潜り抜けてきたエリート部隊が戦車一台に漫然と突撃を繰り返し、兵士が打ち倒されるばかりというのが解せません。精鋭に囲まれたから「フューリー」のピンチが際立つわけで、あんな弱い相手では……。戦車を潰すのに手間取らないと乗組員たちが勇敢に戦っている姿をたっぷり描けない、それは解りますが、ここで私は白けてしまったのです。







2014年11月21日 (金)

★ … ボジョレー・ヌーヴォー吞み比べ!

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20日のボジョレー・ヌーヴォー解禁を受け、昨年好評だった「吞み比べ」パーティーを今年も21日にやりました。今回は<ドメーヌ・レ・グリフェ・ボジョレー・ヌーヴォー・キュヴェ・スペシャル・ヴィエイユ・ヴィーニュ・ノン・フィルタ2014>、<ドメーヌ・デュ・トラコ・ボジョレー・ヴィラージュ・ヌーヴォー・ノン・フィルタ2014 >、<ドミニク・ピロン・ボジョレー・ヴィラージュ・ヌーヴォー2014>の3種類をチョイス、頑張って探したおつまみで楽しんでもらいました。締めに色々なキノコをたっぷり入れたリゾットを初めて作りました。

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2014年11月19日 (水)

★ … 久しぶりの富士山です

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リニアの試乗を終えて戻った大月駅が始発駅ということもあって、きのうは取り敢えず乗ったことのない富士急で終点の河口湖駅まで足を伸ばしました。ホームに出ると、トーマスのキャラクター電車が。中もトーマス一色です。そのまま河口湖近くのホテルに泊まりましたが、せっかく近くまで来たので、きょうは朝から富士山を色々な方向から堪能して鯖江に戻りました。山にはまったく興味がなく、富士山の近くまで来たのはいつ以来なのか、それすら覚えてません。修学旅行で行ったかどうかも覚えていないのです(笑)。

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2014年11月18日 (火)

★ … リニアに試乗

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きょうは山梨県都留市にある「リニア実験線」で時速500キロ体験をしてきました。東海道新幹線で新横浜、そこから八王子に抜け、甲府や松本に向かう中央線の特急に乗れば、最寄り駅の大月まで5時間も掛かりません。しかし、ここはいつもと違うルートで、ということで、今回は朝7時前の「しらさぎ」で鯖江を出発、名古屋から中央線に入り、塩尻、上諏訪、甲府での乗り換えを重ねて大月に向かいました。約6時間の行程です。


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駅からは路線バスで「山梨県立リニア見学センター」へ。センターは実験線での走行試験などを見学するための常設の施設で、そこから少し離れて今回の試乗会向けの建屋があり、そこに入るのにまず金属探知機を使った手荷物検査を受け、車内の座席の並びを再現した部屋で簡単なレクチャーを受けました。今回は“乗車”ではなく、“搭乗”です。実際に乗り組むところも飛行機の搭乗口のような感じ。車内の作りも飛行機の機内によく似ています。


肝心の試乗は、42.8キロの実験線の上で行ったり来たりを5回。150キロくらいでボディーが浮上してくる感じがあり(車輪を収納?)、そこからは滑るようにスピードが上がり、500キロまであっという間でした。加速中もGを感じることもなく、乗り心地は新幹線とそう変らず。350キロくらいから風切り音の低音が車内に籠もるのが気になるくらいです。上海のリニアに乗った時にも感じたことですが、車窓から見えている周りの風景が流れるように飛んでいくわけでもありません。徹夜で朝早くに鯖江を出たこともあって、5回目のランは得意の「寝落ち」でした(笑)。





2014年11月16日 (日)

★ … 講座「オペラ、もっと知りたい」第7回は《ばらの騎士》でした

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きょうは「オペラ、もっと知りたい」の第7回をやりました。本当は9日の予定だったのですが、風邪が一向に治らないので急きょお休みをもらい(皆さん、ごめんなさい!)、第7回のお題だったリヒャルト・シュトラウスの《ばらの騎士》をそのままスライドさせました。今回は15人が参加してくれました。


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《ばらの騎士》はシュトラウスのオペラの中で、最高傑作とされている作品です。物語の舞台は18世紀中頃の、宮廷文化華やかし頃のウィーン。元帥夫人が若き恋人オクタヴィアンとベットの中でじゃれ合うシーンから始まります。夫人が老いていく自分を自覚し、オクタヴィアンがやがて自分の元を去って行くことを受け入れるという結末を迎えますが、二人が32歳と17歳という設定自体、晩婚化が進むいまの日本ではちょっと想像出来ませんね(笑)。それは置くとして、シュトラウスらしい精緻な管弦楽と美しいアリアに彩られていて、元帥夫人はドイツ系のオペラ歌手にとって、オクヴィアンも女性歌手が男性を演じるいわゆる“ズボン役”たちにとって、ともに憧れの役です。


初演は1911年、ドレスデン宮廷歌劇場。台本は文豪フーゴー・フォン・ホフマンスタール。シュトラウスのオペラのために彼が初めて書き下ろしたのがこの作品で、以後、このコンビは数多くのオペラを生んでいきました。初演の演出を実際に手がけたマックス・ラインハルトも含め、彼らが中心になって後に夏のザルツブルク音楽祭が創設されます。そういう経緯もあり、今回は2004年の音楽祭で上演されたプロダクションの映像を観てもらいました。





2014年11月14日 (金)

★ … 「ニウスな夜」第50宵は「36連隊の足跡」でした。

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13日、14日は等身大のニュース解説「ニウスな夜」第50宵でした。第50宵という節目を迎えたこともあり、今回は地元・鯖江にあった歩兵第36連隊の足跡を振り返ったからでしょうか、2日間で30人を超える人が集まってくれました。13日は父親が36連隊の兵士だった山本敏雄市議も参加、従軍日記にした資料集を元に父親直伝の貴重な話を披露してくれました。


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36連隊は1896年(明治29年)、日清戦争後の軍備増強の中で創設された連隊です。この時、6個師団が増設されますが、その一つが金沢に司令部を置く第9師団です。金沢の歩兵第7連隊、敦賀の歩兵第19連隊を中核にして、そこに新設の歩兵第35連隊(富山)、歩兵第36連隊(鯖江)を加えて編成されたのです。最初の大きな戦いは1904年(明治37年)、日露戦争時の旅順要塞攻防戦でした。この時、第9師団は乃木希典率いる第3軍の一翼を担います。映画「二〇三高地」やドラマ「坂の上の雲」などでは、要塞に肉弾突撃している兵士たちが登場しますが、その一翼を担ったのが第9師団で、36連隊も突撃を繰り返し、その時の伊藤連隊長以下、多大の犠牲を出しました。その後の奉天大会戦を含め、戦死1492、負傷4096という被害を出しています。当時の連隊の定員は約1800、補充を受けながらの凄まじい損害ですね。


大正期には朝鮮半島に駐留して警備に当たった後、シベリア出兵にも参加、ウラジオストックの警備に当たり、関東大震災が起きると、いまでいう「災害派遣」で東京西南部の警備と復旧に投入されました。そして、昭和を迎えて、また大きな戦いに投入されます。昭和12年(1937年)2月、日中戦争の始まりとなる支那事変が起きて上海に派遣されたのです。満州国の首都・新京の(いまの長春です)警備を終えて鯖江に帰還して半年足らず、しかも上海での戦いを終えるとそのまま中華民国の首都の攻略を命じられました。そして、36連隊は(連隊長の名を取って脇坂部隊と呼ばれていましたが)ここでも多大な犠牲を出しながら南京の光華門に一番乗りを果たして、その名を全国に轟かせたのでした。

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しかし、こうしたことは、私が調べたから知っているのであって、調べなければいまだに知らないままです。というのも、子どもの頃から学校で36連隊について教えられることがないからです。数年前、小学校、中学校の恩師たちに訊いたことがあります。「なぜ教えないのか」と。しかし、答えの多くは「特別な理由はない」という拍子抜けするものでした。「戦争に関係することには触れない方が無難」という空気の中で触れてこなかったというのです。加えて、独り歩きしてきた「南京大虐殺」という言葉。教員たちはその真偽を確かめることなく、それにも触れることになる36連隊のこと自体、なかったことのように、禁忌のようにしてきたのです。なんたること、事なかれ主義も極まれりですね。


36連隊は浅水川から現在の「嶺北忠霊場=当時は陸軍墓地」までの広大な敷地を所有し、それ以外に坂井郡新保村(坂井市三国町新保)に「三里濱演習場」、大野市松丸不動堂(大野市南六呂師)に「六呂師原演習場」を持っていました。現在の福井鉄道「神明駅」は36連隊があった時は「兵営駅」と呼ばれていました。そこから広がる兵営の中には6つの兵舎があり、戦後しばらく海外引揚者住宅、新制小学校や福井大学校舎に転用されました。そういったことを知る人が街にどれほどいるでしょう。鯖江にはかつて、街の大きさに不釣り合いな国立病院がありました。なぜか…。実は戦後、軍が解体されるのに伴い、兵営内にあった衛戍(えいじゅ)病院を廃止せざるを得なくなった国が取り敢えず国立病院としてそれを存続させたからであり、それが現在の丹南病院に繋がっていることも知られていませんね。この街では「軍に関係していたこと」がネグレクトされ、こうした街の歴史が後世に伝えられていないのです。


「嶺北忠霊場」には、「支那事変戰没者忠霊塔」が建っています。南京一番乗りの「手柄を立てた」36連隊を讃え、戦死者を弔うための、国内有数の忠霊塔です。記念碑ではなく、中にはいまも約25,000柱が鎮座する、本物のお墓なのです。忠霊場の中には、旅順総攻撃で戦死した三原重雄大佐の墓と顕彰碑もあります。また、市内の誠照寺には(いまは誠市が開かれる我々がご本山と呼んでいるお寺ですね)、南京一番乗りを祝い、戦死者を弔う「忠霊堂」もあります。これらの世話は戦後、遺族会を中心とする遺族中心に守られてきました。しかし、遺族会は高齢化し、やがて組織的な活動ができなくなります。その時、我々がその肩代わりをしていく必要があります。英霊たちを放っておくわけにはいきません。国のためと信じ、国のために一生懸命戦い、命を捧げた彼らを犬死にしないために。





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