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2014年1月21日 (火)

★…名指揮者の死

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イタリアの指揮者クラウディオ・アバドが20日、ボローニャの自宅で80歳の生涯を閉じました。生まれは1933年。父親はイタリア有数のヴァイオリン教育者で、後にミラノのヴェルディ音楽院の院長を務めた人物で、彼もヴェルディ音楽院で学び、その後、ウィーン国立音楽大学に進んで名伯楽と言われた指揮者のハンス・スワロフスキー教授に師事。59年に指揮者としてデビューを果たし、63年のミトロプーロス国際指揮者コンクールで優勝して頭角を現します。

 

しかし、大きかったのは、“楽壇の帝王”と呼ばれた巨匠指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンに見い出されたことでしょう。65年のザルツブルク音楽祭に招かれてその存在が一躍世界的に知られるように。そこから輝かしいキャリアがスタートし、戦後第一世代の指揮者の先頭を走り続けます。

 

68年に“イタリア・オペラの殿堂”ミラノ・スカラ座の首席指揮者(72年からは音楽監督)、79年にロンドン交響楽団の首席指揮者(83年から音楽監督)、86年にはウィーン国立歌劇場の音楽監督と、楽壇の主要なポストを歴任、90年にはカラヤンの後任として、ベルリン・フィルの芸術監督に就任します。2000年に胃がんで倒れますが、手術を経て現場復帰、02年の退任後も、世界のトップ奏者を集めたルツェルン祝祭管弦楽団を創設するなど精力的な活動が続きました。

 

そんな巨匠と私の出逢いは、モーツァルトの交響曲第40番のアルバムだったと思います。大学に入った頃………、私をクラシック音楽の世界に誘ってくれた叔父と、そのアルバムについて語ったことを覚えているのです。その時、楽壇に颯爽と登場してきた若きホープ、私の中に彼のイメージが確立されました。そのイメージに引き摺られて、それからどれくらい聴いたでしょう。彼を聴かないと「新しくない」という強迫観念に支配されていたんでしょう、レコード時代から相当の数の録音を聴きました。その意味では私も巨匠と同時代を生きた一人です。一方、ライブは残念ながらごくわずかで(スイス・ルツェルンの新しいホールのこけら落としの「第九」、東京の「フィガロの結婚」、ベートーヴェンの交響曲、「トリスタンとイゾルデ」くらい)、とくに晩年を聴いていません。

 

なのであれこれ言えないのですが、個人的にはその音楽にもう一つ親しみを感じませんでした。出来上がった音楽がきちっとしていて(それ自体が凄いことなのですが!)開放感、野性味、、色気のようなものを音楽からあまり得られなかったからでしょうか。いい家に生まれ、いい環境で学び、いい生活の中をおくり、尖ったこともやって世の貧困も考える(こんな大雑把な括り方をお詫びします!)………その後の経験の中で私の中に徐々に出来上がったいったイタリアのインテリに対するイメージ………巨匠の音楽を私自身が私の小さな枠にはめ込んで聴いてしまっていたのかもしれません。

 

巨匠が残した音楽的な業績は言わずもがな。しかし、その音楽がその場で呼び起こす感動そのものより、音楽の活動を通して世に常に「革新」を意識させてきたことの方に巨匠の功績があり、現代を生きた知識人としての矜持を感じています。合掌。




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