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2013年10月19日 (土)

★…ナチス戦犯の葬儀認めないバチカンの対ユダヤ政策に変化!?


 ナチス・ドイツの戦犯の埋葬をめぐって
イタリアで騒動が起きました。戦犯の名はエーリヒ・プリーブケ。秘密国家警察(いわゆるゲシュタポですね)でイタリア警察との連絡将校を務めていたナチス親衛隊の大尉です。第2次世界大戦末期の1944年、イタリアの抵抗組織に親衛隊員ら33人が殺害された報復として、ローマ郊外のアルディアティーネ洞窟で市民335人の銃殺を直接指揮したとされ、98年に終身刑の判決を受けています。判決後は高齢ということもあって、ローマ市内の担当弁護士宅で拘禁されていましたが、この11日に100歳で亡くなりました。

 ところが、まずバチカン(ローマ法王庁)がローマ市内のカトリック教会での葬儀を禁じる禁止令を出します。続いて、ローマ市長も「虐殺に積極的に関与した人物の葬儀を認めることはできなかった」と発言。葬儀を執り行うことすら出来なくなりました。葬儀も駄目なら、埋葬地も見つかりません。イタリアにあるドイツ軍墓地への埋葬も、戦時中の死者ではないと拒否、故人の出身地であるドイツのリングスドルフ市も遺体の受け入れ拒否を発表、と続きました。プリーブケ受刑者は敗戦後、アルゼンチンに逃亡しています。その後、実名でホテルを経営するなど成功を収めていました。本人は長く暮らしたアルゼンチンで、妻の墓の隣に葬られることを生前望んでいたそうですが、アルゼンチン政府も、彼の遺体の受け入れを拒んでいます。

 プリーブケ受刑者は94年に米ABCの報道をきっかけにアルゼンチン政府に逮捕され、95年にイタリア政府に身柄が引き渡されたのですが、逮捕されるまで毎年4月20日には仲間たちとアドルフ・ヒトラーの誕生日を祝っていたそうです。また、96年に始まった裁判でも、あくまでも命令に従っただけだと主張。「拒否した者は誰であれ、ナチス親衛隊によって裁かれていた」と自らが処刑される恐れがあったことを指摘、「私の手で避けることができたのならそうしていた」と述べ、「公に後悔して見せることによって自分の尊厳を損なうことはしない」として、最後まで虐殺に関する謝罪や悔悛の言葉は一切ありませんでした。

 そんな人物ということも関係しているのでしょうが、今回の葬儀禁止令は、バチカンからユダヤ社会への明確なメッセージと取れます。バチカンではこの3月、イタリア系アルゼンチン人でブエノスアイレスの大司教を務めていたベルゴリオ枢機卿が法王フランシスコに就任しました。新法王は「キリスト教徒が反ユダヤ主義になることは矛盾している。キリスト教徒のルーツはユダヤ人なのだから」と述べるなど、ユダヤ社会との融和を掲げています。一方で、16日にはドイツ占領下のイタリアで行われたユダヤ人の強制連行を追悼する式典に出席、17日にはパレスチナ自治政府のアッバス大統領と会談、返す刀でバチカンからは新法王が来年イスラエルを訪問する計画があるとの発表がありました。それに先立ち、ユダヤ人の撲滅を主導したナチスの戦犯に対して葬儀禁止例…平仄が合いますね。

 新法王の母国アルゼンチンは第2次大戦中、当時のペロン政権が(夫人はあのエビータです!)ナチス・ドイツを支持していた関係で、敗戦後に戦犯が数多く逃げ込みました。後にイスラエルに送られて裁かれたアイヒマンしかり。そして、その手助けをしたのが、何を隠そうバチカンの枢機卿たちだったとされています。当時、バチカンの一部は、宗教を認めない共産主義を敵視し、反ユダヤ主義、反共産主義という点でナチス・ドイツやムソリーニ政権との距離を詰めていました。そのアルゼンチン出身の新法王が親ユダヤ路線に舵を切る、それも歴史の皮肉でしょう。

 プリーブケ受刑者の葬儀は結局、バチカンと反目している超保守派のカトリック団体「聖ピオ十世会」がローマ近郊にある教会で行おうとしましたが、反ナチス団体を中心とする市民約500人が「人殺し」などと叫んで霊柩車を蹴ったりつばを吐きかけたりするという事態になりました。ニュースでその映像を見た人も多いでしょう。警察が葬儀の中止を命じたことで、遺体はローマ近郊の空軍基地に保管されることになりました。

 日本ではなかなかピンときてもらえないのですが、ヨーロッパではまだ第二次世界大戦中の戦犯への追及が執拗に続けられています。18日にもローマの軍事裁判所が、やはりナチス・ドイツの元軍人アルフレッド・ストーク被告(90)に終身刑を言い渡しました。被告は小説「コレリ大尉のマンドリン」のモデルとなったイタリア軍捕虜の虐殺事件への関与を問われていました。事件はギリシャ・ケファロニア島で1943年に起きたのですが、単独降伏したイタリア軍への報復として、ドイツ軍は少なくとも捕虜117人を虐殺したとされています。「罪人も死ねば仏」という日本と違い、ケジメはきっちり付けないといけないということなのです。

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