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2013年6月17日 (月)

★…徳山の後は福山へ


 さて、徳山のコンサート終えた後、その足で広島県福山市に入りました。福山は人口約46万人、広島県では広島市に次いで大きな街で、隣はもう岡山県です。駅のすぐ脇には福山城があり、明治の廃藩置県で藩がなくなるまで福山藩の(最後は11万石です)城下町だった面影がいまも強く残ります。現在はJFEスチール(昔の日本鋼管ですね)の企業城下町です。



 福山藩は譜代大名の阿部氏が10代161年にわたって藩主を務め、その間に老中を4人、大坂城代を1人送り出している雄藩です。なかでも7代藩主の阿部正弘は25歳の若さで、水野忠邦(天保の改革で習いましたね!)の後を受けて老中首座に就任、その任期中に日米和親条約を締結したことで知られています。老中首座のポストを堀田正睦を譲った後もヒラの老中として幕政に尽力、そのストレスからか、在任中に39歳で急死しています。

 明けて月曜日。朝いちばんで仕事を済ませた後、九州に向かう新幹線に乗るまでの時間に街をぐるりと回ってみました。福山城、護国神社(神社がある街では極力お参りするようにしています)そして、福山に置かれていた旧陸軍の第41連隊の跡地です。

 番号が近いことからも解る通り、第41連隊は鯖江の第36連隊と同じ1896年(明治29年)に連隊本部が設置された部隊。当時は鯖江も福山も同じような位置付けの街だった(譜代大名で老中を送り出している藩といったニュアンス)ということが伝わってきます。広島の第11連隊、島根・浜田の第21連隊、山口の第42連隊と共に、元々は広島に本部を置いた第5師団を構成する部隊でした。

 それが1942年(昭和17年)、南海支隊に転出してポートモレスビー作戦に参加、ラバウル経由でニューギニア島に上陸してオーエンスタンレー山脈超えを目指したものの、激戦の末に全滅寸前にまで追い込まれています。また、43年になって第30師団へ編成替えとなり、大戦末期の44年にフィリピン中部のレイテ島に上陸してアメリカ軍と交戦。45年7月になって、島の北東部にある港街で州都であるタクロバンで最後の突撃を行って玉砕した悲劇の部隊です(そのことで福山とタクロバンは1980年に姉妹都市になったということです)。

 護国神社はお城のすぐ脇にあり、41連隊以下、旧日本軍関係の慰霊碑がたくさん集まっていました。一方、連隊の跡地は現在、「JA(農協ですね)福山市」の建物が建っていますが、駐車場の隅に記念碑が残り、西門が移設されていました。





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