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2013年4月

2013年4月20日 (土)

★…鯖江商工会議所が北陸新幹線で市に建議書


 北陸新幹線の金沢開業が近づく中、鯖江商工会議所の「北陸新幹線開通に伴う協議会」がこの19日、開通に向けての建議書を鯖江市長に提出しました。テレビの夕方のニュースでもやっていましたし、翌日の福井新聞にも記事があったので知っている人も多いと思います。

 記事によれば、建議書には<仮称・南越駅の名称変更>、<JR鯖江駅に停車する快速電車の増便>、<JR鯖江駅周辺などへの大型駐車場の建設>、<JR福井駅や小松空港とのアクセス向上>、<新幹線車両鯖江の地場産業活用>など7項目が盛り込まれています。金沢開業を地元の活性化に繋げようと、忙しいみんなが集まって知恵を出していく、その姿勢には大きな拍手です。記事によればこの協議会、この1月に設置されたもので、商工会議所の役員14人が委員を務め、2回の会合を開いて建議書をまとめたとあります。ただ、集まり2回で意見をまとめたからなのでしょうか、論点と視点の整理が出来ていないのです。

 例えば、<JR鯖江駅に停車する快速電車の増便>とありますが、これは本質的には自分たちの問題です。よく考えてみてください。新幹線の敦賀延伸で、並行在来線の(いまのJR線ですね)は、第三セクターの運営に代わります。となると、そこがどんな電車を走らせるか、というのは運営会社の収支次第なのです。そしてそれは、地元のどれくらいの人がその鉄道を利用するのか、で決まってくるのです。空の電車を走らせれば走らせるほど、税金投入による地元の負担は増える。ということは、みんなが「車を捨てて電車に乗ろう」を実践できないことにはどうしようもありません。自分たちの行動が自分たちに跳ね返ってくるという性質の問題なのです。

 また、<JR鯖江駅周辺などへの大型駐車場の建設>とありますが、鯖江駅の利用者が増えると考えているのでしょうか。敦賀以西が開通するまでは、鯖江の住民が新幹線を利用する場合、その多くは福井駅、あるいは仮称・南越駅から乗るか、そのどちらかになります。となると、いまは特急で米原へ向かっている人の多くが普通電車で福井に向かうようになり、そこから「ひかりタイプ」の新幹線に乗り継ぐというのが現実的でしょう。そして福井駅に向かう人は、鯖江駅と北鯖江駅から第三セクター線を利用します。つまり、駐車場の問題を考えるなら、北鯖江駅周辺に駐車場を整備することの方が先なのです。普通電車しか走らない路線になれば、いまは特急が止まっている鯖江駅の優位性は失われる。そういう視点が欠けているのではないでしょうか。いまでも空車が目立つ鯖江駅周辺の駐車場の整備を税金を使って進めることは、屋上屋を重ねることになりかねません。

 もう一つ、<JR福井駅や小松空港とのアクセス向上>についてもどうでしょう。というのも、私から見ると、JRによる福井駅とのアクセスは、上りの(敦賀行きの)最終列車を遅くして欲しいとは思いますが、特急、普通を利用すればいまのダイヤでも充分です。第三セクターになれば、特急がなくなる分、普通列車の頻度がさらに上がるでしょう。一方、小松空港は、新幹線の開通で東京便が減少、ひどい予想では利用者が8割激になると予想されています。となると、小松空へのアクセスを必要とする人は、北海道や九州、沖縄、あるいは海外に出掛ける人がメインになるわけで、鯖江の住民にどれほど関係するのか疑問です。少なくとも、第三セクターの鉄道の話ではありません。

 そして、どういう経緯でこういう結論になったのか解らないのが、仮称・南越駅の名称について、以前の報道では「越前鯖江駅」だったものが、「新武生鯖江駅」に変わっていたことです。というのも、実は「越前鯖江駅」という駅名で陳情すると聞いた時、これはなかなか良い駅名だと思ったからです。なぜか。それは、第一に旅情をかき立てる名前だからです。

 都会の人が仕事以外で地方に出掛ける場合、そこに欲しいのは、「思えば遠くに来たものだ」という旅情でしょう。「越前」という言葉は、そこをくすぐるのです、「越後」や「陸前」、「伊予」や「紀伊」といった言葉と並んで、歴史を旅しているという気持ちにさせてくれるというか。その意味で、武生市が越前市になった時、「越前」という福井最大のブランドを取られた時、私はやられたと思いました。東京ではいまでも「福井」よりも、ロマンを持って語られる「越前」の方がずっと心に響いているからです。

 駅自体はあくまでも越前市内に建つわけです。鯖江側はあくまでもお願いする立場です。私が越前市の住民で、越前市の町おこしを考えるのであれば、「越前」というブランド効果も利用しつつ、自分の街の歴史を刻み込もうと、「越前府中」という駅名にしたい。鯖江側はそれを横目で睨みつつ、「鯖江市民も駅を利用するのだから、そこはなんとかご配慮を」とお願いしないといけない。しかし、「越前+鯖江」である「越前鯖江」であれば、陳情しやすいと思いました。何と言っても、向こうはいまは越前市なのですから。そして、そうなると、鯖江が得をするのです。なぜか。それは東京からみれば、「越前鯖江」という言葉は、「越前の中の鯖江なのね」という風に捉えられるからです。

 それがどういうわけか、「新武生鯖江駅」という、何とも陳腐な名前に落ち着いてしまいました。ちょっとびっくりで、委員を務める知り合いに聞いたところ、「そういう名前になったことは聞いていない」という返事。がっかりしました。みんなで揉みに揉んだ末に名前が決まったというわけではないのですから。組織には組織の都合があるのでしょう。願わくば、幹部の間で「それでは鯖江の方が得をすることになるから、さすがにそれは頼みにくい」というような話し合いがあったと思いたいところです。
 
 そういった意味で、この建議書に欠けているのは、「首都圏の人間がどう考えるか」という視点を踏まえ、自分たちがなすべきことを提案出来ていないことでしょう。街の活性化は、首都圏からいかに人を引っ張ってきてお金を落として貰うか、あるいはこの街にやってくる人の数を(いわゆる交流人口というやつです)増やしてお金を落として貰うか、そういったことを抜きに語れません。そして、それに対応してこちら側が何をする必要がある、それを建議する必要があったと思います。自分たちが新幹線を利用する時、こうすれば便利になるといったことばかり上げても仕方ありません。その意味で、商工会議所のメンバー企業に声を掛けて、鯖江によく出張してくるような人を委員会のメンバーに混ぜて意見を出して貰うといった工夫が必要なのではないかと思います。

 <新幹線車両鯖江の地場産業活用>という視点、これは素晴らしいと思います。ただし、これは市長以下、車輌製造メーカーに乗り込んで、直接トップセールスを繰り広げるしか手がありません。「うちの街にはこういう企業があり、こういうことなら、この会社でやれますよ」ということを伝えて回るということです。同じことが出来る企業は日本中にたくさんある。そこでは小まめに営業するしかないのです。我らが市長が出向いても、大企業は部長クラスしか対応してくれないというのが「東京の現実」ですが、そういったことにめげていてはいけません。現実は、どれだけ街にお金を引っ張った来れるか(国の税金ではなく、民需を)です。そして、市長に陳情するまでもなく、これこそ商工会議所が先頭に立ってやれることでもあります。

 何度も繰り返してきましたが、新幹線の敦賀以西の延伸が実現するまでは、関西圏、中京圏と福井県はフリーゲージ・トレインで結ばれる可能性が大です。しかし、それが意味するところは、鯖江駅周辺、武生駅周辺の人間が取り残されるということです。第三セクターの運営になるJR線と新幹線が交わる駅で、そのエリアにあるのは福井駅と仮称・南越駅だけ。つまり、そのエリアの人間は、大阪、名古屋に行くのに、福井駅か敦賀駅まで普通で行って
フリーゲージ・トレイン乗り換えるか、フリーゲージ・トレインの乗るため、仮称・南越駅まで車で乗り着けるか、ということです。こんな不便なことはないでしょう。その意味では、今回の建議書が新幹線問題を考えることのきっかけになってくれないかと祈ります。

2013年4月15日 (月)

★…きょうのニュース解説 [ 4月14日 ] 安倍首相が遺骨収集現場を視察


 安倍晋三首相が14日、小笠原の孤島・硫黄島を訪れました。今年度最初の「政府遺骨収集団」の作業を視察するためです。映画『硫黄島からの手紙』でも描かれた大戦末期1945年の島を巡る攻防戦では、栗林忠道大将率いる守備隊が玉砕、約2万1900人が戦死しました。しかし、戦後の遺骨収集は進まず、昨年24年度(2012年度)末で約1万150人分と、その半数に満たない状況でした。

 それが菅政権時代の平成22年度(2009年度)に予算が大幅に増額され、特命チームによる全島再調査の方針が決まったことで収集のピッチが上がりました。22年度には、米国立公文書館などの資料から島内2カ所に2千人規模の埋葬地があることが判明。その後、日本兵が立て籠もったとみられる壕なども新たに500カ所以上見つかりました。それもあって、22年度に822人分(前年度の16倍です!)、23年度に344人分、24年度に266人分という成果が出ています。

 こう書くと、政府は遺骨収集に一生懸命取り組んでいるようにみえます。しかし、硫黄島を除けば、実態はお寒い限りです。厚生労働省によると、沖縄と硫黄島を含む在外戦没者は約240万人。そして、そのうちまだ半分の約113万人の遺骨は未だ日本に帰っていません。政府による遺骨収集事業は昭和27年度(1947年度)に南方地域で始まり、平成3年度からはロシア・シベリアでも行われました。

 しかし、政府による大掛かりな遺骨収集作業は、実は昭和50年度(1980年度)で終了してしまっているのです。海没や北朝鮮などにあって収集困難な遺骨を除いて、約60万人分が収集可能と推定されながら、です。その後は、民間などから情報があった場合のみ収集しているという状況で、平成18年(2006年)度から「概ね3年間」の計画でフィリピン、東部ニューギニアなどで調査を行っているだけ。予算も約1億9800万円程度です。

 これに比べて、アメリカはハワイに米国防総省の「戦争捕虜・行方不明者捜索司令部=JPAC」の本部を置き、425人のスタッフを抱えて、太平洋戦争、朝鮮戦争などで行方不明となっている兵士約8万8000人の捜索と遺骨収集の作業をいまも続けています。5000万ドル(約55億円)という年間予算自体が、戦後日本が費やしてきた総額に匹敵する額です。

 ちゃんと成果も上がっていて、2007年6月には、硫黄島で行方不明になった1人の軍曹を捜すため、8人の調査チームを派遣されて調査に当たりました。また、今年3月には、サイパンで日本の政府収集団が日本兵の遺骨と一緒に米兵とみられる遺骨を発見、連絡を受けたJPACは、2日後にハワイから職員を派遣して遺骨を回収しています。

 国のためを想い、行くたくもない戦場に赴き、そこで散った命は帰って来ない。ならば、せめて遺骨の収集によって戦死者に報いるのが国の使命でしょう。遺骨をこのままにしておくということは「死んだ人たちは犬死」と言っているのと同じです。今回の調査について聞かれた遺族の方のコメントに「国からの赤紙1枚で問答無用で硫黄島に送られた。その遺骨は国の責任で帰すべきものだ」というものがありました。これに返す言葉がありません。

 日本の会社文化の中にはかつて、「骨は拾ってやる」という言葉が確実にありました。上司から部下に対して、後の責任は俺が持つから、お前は後顧の憂いなく、目の前の目標に全力投入で頑張ってくれ………という時に使わる言葉ですね。そんな言葉を持っていながら、この現状は何なのでしょう。空々しく聞こえます。

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