« ★…「ニウスな夜」第8夜を開催 | トップページ | ★…武生国際音楽祭2012開幕! »

2012年9月 1日 (土)

★…誠照寺の忠霊堂

大事な報告を書き忘れていました。先々週18日の午後、「ご本山=誠照寺(じょうしょうじ、のことですね!)」を通り抜けようとして、小さなお堂がいつもと様子が違うことに気付きました。小さなお堂とは、つつじホール側に抜ける門の右側にある「忠霊堂」のことです。いつもは閉まっているこのお堂がこの日、三方の扉を開けて空気の入れ換えをしていたのです。

Photo

このお堂、太平洋戦争中に南京攻略戦で亡くなった歩兵第36連隊の英霊たちを祀るために建てられたもの、と聞いていました。確かに額には「忠霊堂」の文字があります。それで写真を撮っていたところ、そこにお寺の関係者の方が片付けに…。お堂の観音様が英霊の骨で作られていること、お堂に英霊の遺骨が祀られていること、そして、年に一度8月18日に風を通すために扉を開けること…。実に面白い話が聞けました。

36連隊は設立されたのは、明治三陸地震が起きた1896年(明治29年)のこと。金沢を拠点とする第9師団隷下の一連隊として(4連隊で1個師団です)編成が始まり、翌97年に北陸本線の開通を待って鯖江に配置されました。中心になったのは地元、嶺北、奥越の人たちです。彼らにとって最初の大きな戦いは1904年、日露戦争への従軍でした。小説「坂の上の雲」で知られる旅順要塞攻防戦、その後の奉天会戦に参加して奮戦したことで知られます。仲代達矢、丹波哲郎らが主演した映画「二〇三高地」は金沢の第7連隊の人間たちを中心に描かれていますが、36連隊もその時、彼らと一緒に戦っていたのです。しかし、36連隊の活躍で最も知られるのは「南京城一番乗り」でしょう。

1937年に(昭和12年に)始まった支那事変は上海をめぐる局地戦で終わらず、日本軍は結局、時の国民政府の首都・南京を陥落を目指して突き進むことになりました。そして、その戦陣を切ったのが36連隊。南京市街を囲む城壁の中で敵側の拠点となっていた光華門を激戦の末に(戦死257名、負傷546名を出して)占領しました。この攻防戦は日本でも連日大々的に報道され、連隊長の脇坂次郎大佐の名前を取って「脇坂部隊」と呼ばれた36連隊は、陸軍きっての精鋭部隊としてその名を轟かせることになりました。

戦後、36連隊の存在は市民に忘れられてしまいました。彼らが光華門占領の後、「いわゆる南京事件」が起きたことも大きかったのかもしれません。鯖江が南京という言葉と結び付くことを嫌ったのではないか、教育の現場でも彼らの記憶を消し去ろうとしたのではないか、というくらい知られていません。しかし、36連隊が国のために何万人もの戦死者を出して戦ったことを後世にもっと伝えていかなくてはいけません。

丹南病院はその昔、国立病院でした。国立病院が県庁所在地の福井市でなく、鯖江クラスの街にあったのも、実はかつて36連隊が抱えていた「衛戍(えいじゅ)病院=陸軍病院のことです」を戦後引き継がざるを得なかったからです。丸山公園になっている場所は36連隊の練兵場で、その中に「鯖江不時着場」がありました。“軍都”だった鯖江を今に伝えるものとしては、忠霊塔が立つ(あの中に2万人以上の戦死者の遺骨を祀っているんです!)嶺北忠霊場がありますが、この「忠霊堂」も歴史的な遺産としてこれから見守っていきたいと改めて思いました。

« ★…「ニウスな夜」第8夜を開催 | トップページ | ★…武生国際音楽祭2012開幕! »

永遠の鯖江歩兵第36連隊」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1598508/46922334

この記事へのトラックバック一覧です: ★…誠照寺の忠霊堂:

« ★…「ニウスな夜」第8夜を開催 | トップページ | ★…武生国際音楽祭2012開幕! »

2016年1月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ