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2012年7月

2012年7月19日 (木)

★…きょうのニュース解説 [ 7月17日 ] 尖閣諸島問題で日中の新聞が火花


 尖閣諸島問題で17日、日中の新聞が、自国の領有を証明する史料が見つかったという報道で火花を散らしました。火花を散らしたのは、私の古巣『産経新聞』と香港の有力紙『文匯報』です。

  『産経新聞』の報道はこうです。尖閣諸島の一つである大正島について、中国が明朝時代の1561年に(日本は室町時代の永禄4年)琉球王朝へ派遣された郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した上奏文(…皇帝への報告書ですね)の中に「琉球に帰属する土地」と明記されていたことが解ったという報道です。明朝の時点で尖閣諸島の帰属が琉球王朝側にあると認めていた史料の存在が明らかになったのは初めてのことで、中国は領有の根拠を「明代から中国の領土で台湾の付属の島嶼(とうしょ)だった」としているだけに、この資料はその根拠を砕くことになります。

 一方、『文匯報』の報道はこうです。1876年(明治9年)に陸軍参謀局が出版した『大日本全図』に、釣魚島が(尖閣諸島の中でいちばん大きな島)琉球諸島に属さないことがはっきり記されている、というのです。そして『大日本全図』が、釣魚島が日本に属さないことをもっとも有力に証明しうる日本側の貴重な歴史文献であると伝えています。これに呼応して、中国社会科学院の王暁鵬氏が「日本陸軍参謀局が作成した『大日本全図』は、公式な文献だ。国際法に基づくと、国家が公表した地図の定める領土については、法的効力を受けることになる」とコメントを出しています。

 さて皆さん、どちらの記事を信じるでしょう。『文匯報』の報道も一読、それらしい話に思えます。がしかし、実はこの話は読者を錯覚させる記事の典型でもあるのです。というのも、日本が尖閣諸島の調査を開始したのは1885年、領土に編入したのは1895年のことです。そう、『大日本全図』が出版された1876年の時点では、尖閣諸島は日本のものではなかったからです。だから、日本のものではない、と書いているのが当然なのです。現在、日本が主張している領有の起点は、1895年なのです。だから、この報道は、為にする報道と言ってもいいでしょう。

 それに比べると、 『産経新聞』の報道の方が、事実の前にずっと真摯です。件の上奏文を見つけたのは、長崎純心大学の石井望准教授(漢文学)。郭が書いた文書を集めた『石泉山房文集』の中に残っていて、帰国後に琉球への航海中の模様を上奏した文章には<行きて閏(うるう)五月初三日に至り、琉球の境に渉(わた)る。界地は赤嶼(せきしょ)=現在の大正島=と名づけらる>と書かれているとしています。石井准教授は、「渉る」は入る、「界地」は境界の意味で、「分析すると、赤嶼そのものが琉球人の命名した境界で、明の皇帝の使節団がそれを正式に認めていたことになる」と指摘しています。

 このブログでも書いてきましたが、尖閣諸島の帰属に関しては1920(大正9)年、魚釣島に漂着した中国人漁師を助けてもらったことへの感謝状が、当時の中華民国政府の駐長崎領事から石垣島の人々に贈られています。その感謝状には「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていて、領事の公印も押されています。つまり、日本に帰属していたことを認識していたことは明白です。加えて、下條正男・拓殖大学教授の研究で、それに先立つ清朝時代に勅命で(…皇帝の命令で)編纂された地理書『大清一統志(だいしんいっとうし)』にも、台湾の北東端を「鶏籠城(けいろうじょう)=現在の基隆(キールン)市)」と定めており、尖閣諸島は自国外と認識していたことも解ってます。

 そもそも中国が、尖閣諸島の領有を叫び始めたのは、周辺で石油資源などが見つかった1970年頃です。私自身は、1972年の田中角栄首相の訪中と日中国交正常化交渉を(国交回復交渉という言い方もありますが)高く評価していますが、その交渉の中で領有権を棚上げしたことは唯一、その後に禍根を残したと思っています。なぜか…。それは領有を主張するには無理があると彼ら自身が解っていながら、さも領有権があると装わせることを可能にしたからです。

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バー・ステーション … 鯖江市有定町2-4-29 … PM8:00〜AM2:00 … 0778-51-3557

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2012年7月18日 (水)

★…「ニウスな夜」第6夜を開催


申し訳ありません、報告が遅くなりました。11、12日に店で行った「ニウスの夜」第6夜について、です。今回のお題は「年金の現実」。年金制度の仕組み、置かれた現状、そしてこれからの姿などについて話をしました。初日は7人、二日目は12人が参加してくれました。

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年金をめぐっては現在、「どうせ自分がもらえる世代になった時には年金はもらえない」という空気が世の中に蔓延しつつあります。直前の5日には、厚生労働省から平成23年度の国民年金保険料の納付率が58.6%となり、過去最低を更新したというニュースも流れました。6年連続の減少で、これだけみれば年金破綻目前という感じです。しかし、そこに年金について、中でも原則的に国民全員が加入している国民年金についての“最大の誤解”があるのです。

“最大の誤解”とは…。それは今払っている保険料がさも「月々の積み立て」のように思われていることです。しかし、今払っている保険料は、右から左に、きょうの年金の支払いに消えているのです。もっと言うと、集めた保険料ではきょうの支払い分の半分も賄えないというのが現状で、支払いの半分は税金で補っているのです。そういう仕組みを「賦課制度」と読んでいるのですが、簡単に言えば、年金制度とは、国家が行っている壮大な“ネズミ講”のようなものなのです。つまり、今払っている社会保険料とは、「自分のための積み立て」などではなく、「きょうの払わないといけない年金の分担金」といった方が正確です。なので、それは永遠に続けないと社会自体が破綻してしまいます。

そこで将来の制度設計は…、という話になるのですが、「ニウスの夜」の直前に民主党と自民党、公明党の間でいわゆる「三党合意」が結ばれ、民主党政権下で進められていた新しい年金制度なるものが事実上破棄されてしまいました。三党間で合意されたのは、これから一年かけてまた議論を重ねるということ…。なんのことはない、またも先延ばしで、新しい年金制度の姿はまだ見えません。

今回も話をしたのですが、個人的には、年金制度をはじめとする国から国民への給付を(生活保護やこども手当、失業手当なども)一元化することで行政機能をスリム化させる「ベーシック・インカム」を導入すべきと思ってます。いずれにしろ、年金制度の将来像については皆さんの関心も高いので、今回話をしたことを軸に、これからもブログに連載を書いていこうと思います。

ところで、次回の「ニウスの夜」第7夜では、最近何かと話題になる生活保護制度について探っていきます。日本では「最後のセーフティーネット」として社会保障政策の要にある制度なのですが、すべての人に関係した制度ではないため、この制度について知識がほとんどない、というのが現実でしょう。しかし、受給者の急増で国家の負担が防衛費と肩を並べるところまできている上、有名芸能人による不正受給問題などが表面化し、改めてその在り方が問われています。お題も「知りたい生活保護」です。開催は8月1日(水)、2日(木)に行います。両日とも同じ内容で、午後7時半から2時間ほど話をします。都合の良い日に参加してください。参加費は1500円(コーヒー飲み放題付)です。


2012年7月 9日 (月)

★…周南はもはや日帰り圏 !?


 先週末は山口県に行っていました。音楽プロデューサーを務めるコンサート・シリーズの、今年最初のコンサートがあったからです(当日の様子はこちら)。行ったのは周南市(旧・徳山市を中心に合併で誕生した市です)。前日の金曜から現地入りしたのですが、往路の新大阪〜 徳山で乗った新幹線が、なんと九州新幹線の「さくら」でした。私にとって、九州新幹線初体験。こうなると、仕事で出かけた旅とはいえ、“鉄ちゃん”にはたまりません。いや、とても得した気分です。ご当地物の穴子弁当を急いで平らげ、車内をあちこち探索しました。


 
 この「さく
ら」、残念ながら九州新幹線用に新造された800系ではなく、東海道新幹線と同じN700系でしたが、九州新幹線バージョンで、かなり違います。普通席でもイスは横4列とゆったり。新幹線、飛行機とも、3列席の真ん中になると心理的に窮屈な感じがしますが、これなら長旅でも疲れ方が全然違うでしょう。JR九州が旅というのものの中身を良く考えていることの現れで(旅と移動の違いというか)、彼らがこのところ“おもしろ電車”でヒットを連発して理由もそこにあります。車内も木目調のトーンで統一されていてかなり感じが違います。

 さて、この徳山の街ですが、学校の勉強では「コンビナートの街」として習いました。海岸縁には巨大な工場が並んでいます。一方、かつては海軍の街でもあり、戦艦「大和」がここで燃料を積み込んで沖縄に向かったとされています。沖合にある大津島には回天記念館もあります。「回天」とは太平洋戦争末期に開発された兵器で、巨大な魚雷に人が乗り込んで操縦、敵の船に体当たりする特攻兵器です。沖合の大津島には訓練
地の跡が残り、 記念館には回天に関する資料や搭乗員の遺品等が展示されています。

 いつも思うのですが、日本
では、こういう施設は、遺族や有志たちがプライベートでなんとか守ってきたというのが実情です。戦争に負けたことを受けて、戦後の教育界には戦争に関する事柄にはなるべき蓋をしようという空気が流れてきたように思います。しかし、先人たちの記憶を、戦争の記憶を消し去ることは、先人たちの苦労や戦争の恐ろしさをも消し去ってしまうことに気付くべきです。嫌々ながら戦争に駆り出され、死んでいった人たちも多かったのですが、なにか「終わったこと」として大事にされていません。こういう社会の姿勢が、先人たちを大事にしない風潮も生みます。こうした施設をもっとみんなで支えるように出来ないか、といつも考えさせられます

 ところで、
山口県というと、福井の人たちからみると九州の手前という感じですから、えらく遠いところというイメージがあるのではないかと思います。しかしこれが、鯖江から乗り換えを入れて4時間しか掛からないのです。通常は鯖江から京都までサンダーバード、そこから新幹線という流れなのですが、ともに列車のスピードが速いこともあり、8時前に出れば、午前中に着いてしまいます。ということで、公演日も店を開けないといけない私にとってはとっても助かります。




2012年7月 4日 (水)

★…シタールの南沢氏

 きのうは珍しいお客さんが顔を出しました。京都在住の南沢靖浩さんです。南沢さんはシタールの演奏者。シタール?……まずこのシタールという楽器を説明しないといけないかもしれません。シタールは一見するとギターやリュートを大きくしたような、北インドの生まれの弦楽器です。フレット上に張られた金属製の弦を(19弦のタイプが多い)金属製の爪で弾いて音を出します。ボディーから伸びる棹の上の方に共鳴器が付いていて、天然のエコーが掛かったような神秘的で透明感のある音を出します。

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 「ビヨーン」、「シャラ、ラーン」、「シャリーン」…、その耽美的な響きはいつ聞いても神秘的です。若い頃(まだ福井にいた頃ですが)ノラジョーンズの父親でもある世界的な演奏家ラヴィ・シャンカール、彼と対峙される巨匠ヴィラヤット・カーンという名演奏家たちの演奏を聴いたことを思い出します。これで香でも焚いて、この響きに身を委ねていれば、もう瞑想の世界にそのまま突入、という感じです。その意味で、何ともまか不思議なイメージが強い、いかにもインド的な楽器でもあります。

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 その南沢さん、この8日に福井の「モンナリッサの森」でコンサートをやることになっています。タイトルは「シルクロード・フェスティバル」。福井在住のベリーダンサーのエマさん(写真左)、そしてサックスとの共演です。きのうはその練習の帰りに店に寄ってくれたそうで、3人で店に来てくれました。8日のコンサートは、なんと私の友人の江川ちゃんがサックスを吹くという組み立てにビックリしていたのですが、店で試しに吹いたらこれが意外に上手い!ので楽しみです。ステージは午後2時からと午後7時からの2回です。








 

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