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2012年4月24日 (火)

★…大河ドラマ「平清盛」を10倍楽しむ


22日放送の回で清盛の父・忠盛(=中井貴一)が亡くなったNHKの大河ドラマ「平清盛」。スタートから視聴率が悪く、この日の放送も関東地区では今季ワーストタイの11・3%タイと騒がれていますが、個人的には、それほど悪い出来とは思いません。出演者たちの演技も、それぞれのベストに近いのではないか、と思っています。ただ、朝廷を中心に人がたくさん出てくるし、人間関係が込み入っている、それが話を分かり難くしています。お客さんたちの多くもそう言います。そんなドラマを楽しむには…。きょうはその話です。

まずあの複雑な人間関係、歴代の天皇がたくさん出てくるところに特徴があります。なので、そこを押さえると、流れがだいぶ解りやすくなります。というか、 ドラマの縦軸になっているのは、白河天皇から後白河天皇までの朝廷の三代にわたる憎しみ合いです。話を簡単にするため、白河天皇(先々代)→堀川(先代)→鳥羽(当代)→崇徳(長男)→近衛(三男)→後白河(次男)という位置関係に置き換えるとよりわかり易くなります。そして、男たちの憎しみ合いは、1156年の「保元の乱」に繋がります。ドラマには藤原氏、源氏、平氏が出ていますが、彼らこそ朝廷の憎しみ合いに巻き込まれていく存在、 と考えた方が解りやすいかも知れません。

その憎しみの元を作ったのは、白河天皇です(今はもう出ていませんが、伊東四朗の“怪演”が光ってましたね)。彼は、藤原家に牛耳られていた政治を天皇側 に取り返そうと、約200年ぶりに院政を復活させた“大物”。それだけに権力志向で、自分が上皇になって院政をするため、まだ7歳だった子供の善仁親王に譲位します。それが堀河天皇です。そして彼が亡くなると、孫でわずか4歳の宗仁親王を即位させます。これが三上博史が演じている鳥羽天皇です。

ここまでは、まあ、普通の流れです。ところが…。上皇となった白河天皇(=伊東四朗)は、鳥羽天皇(=三上博史)が長じて言うことを聞かなくなると、20 歳で無理矢理退位させるのです。そして曾孫である鳥羽天皇の長男、4歳の顕仁親王を即位させます。これが崇徳天皇(=ARATA)です。しかし、ドラマで 描かれているように、この崇徳天皇(=ARATA)は、形の上では鳥羽天皇の長男なのですが、実は白河天皇の子。白河天皇は自分の孫である鳥羽天皇の “嫁”である璋子(=檀れい)と関係を持ち、彼女との間の子を即位させたことになります。鳥羽天皇にしてみれば、退位させられた上、寝取られた嫁と祖父との間の子に帝位を譲れと強制される…祖父への恨み骨髄ですね。

だから、白河上皇が亡くなると、鳥羽天皇はすぐリベンジに動き、白河天皇と同じことをやります。22歳になった崇徳天皇(=ARATA)を退位させ、二人目の“嫁”である得子(=松雪泰子)を母とする三男の体仁親王を即位させました。これが近衛天皇です。わずか2歳での即位。崇徳天皇(=ARATA)の父への恨み、推して知るべしです。ただ、この近衛天皇、なんと16歳で亡くなってしまい、また後継問題が浮上しました。そこからです、これからドラマで描かれる本当の対立は。

この近衛天皇には、子供はいませんでした。普通なら、後継は次男の雅仁親王(=松田翔太)というのが筋です。当時、既に28歳。しかし、彼は評判が悪かっ たのです。ドラマの中でも変な歌を歌っていますよね。そこで「崇徳の子の重仁親王」、「崇徳の弟の雅仁親王(=松田翔太)の子の守仁親王」のどちらかに、 という話が浮上します。長男の子に引き継ぐか、次男の子に引き継ぐか、という選択でした。ただ、鳥羽上皇には、憎み抜いている長男・崇徳の息子に即位さ せるつもりはありません。一方、守仁親王は得子(=松雪泰子)が育てたも同然で、まだ12歳ながら聡明な皇子として評判でした。なので、後継はすんなり決まり そうだったのです。

ところが…。次男の雅仁親王(=松田翔太)が健在なのにどうしてその子を先に天皇にするのか、という異論が周辺から上がります。そこでいったん、雅仁親王 自身が即位しました。これが後白河天皇です。鳥羽天皇と得子のコンビは、すぐに皇位を守仁親王に譲らせる、という考えでした。ここでまたしても、崇徳上皇 (=ARATA)は父から蚊帳の外に置かれるという仕打ちを受けました。自分自身が無理矢理退位させられた上、長男である自分の息子に次の天皇の座が回っ てくると思っていたら、変人と評判の弟が即位してしまったのですから。いよいよ我慢の限界が近づいてきます。

そこに藤原家の内紛が加わって、いよいよ事件に発展していきます。関白・藤原忠通(=堀部亮輔)と、その父である藤原忠実(=國村隼)、弟の藤原頼長(= 山本耕史)との対立です。藤原忠実(=國村隼)は、秀才の誉れ高い弟の頼長を溺愛し、自分の後継者としようとしたことから親子の確執が生まれました。

それらが合わさって、1156年の「保元の乱」に向かいました。天皇家、藤原氏それぞれが、溜まりに溜まっていた深い恨みを持ってぶつかりました。崇徳 (=ARATA)は藤原氏の弟の頼長(=山本耕史)と組み、後白河天皇(=松田翔太)は兄の藤原忠通(=堀部亮輔)と組みました。そして、それぞれが“実 力部隊”としての武士を従えたのですが、その時に源氏、平氏とも一族が分裂しました。源氏は父親の源為義(=小日向文世)が崇徳に、息子の源義朝(=玉木 宏)が後白河に付きます。一方の平氏は、ドラマの中で清盛にいつも辛く当たっている叔父の平忠正(=豊原功補)が崇徳に、そして清盛は後白河に馳せ参じま した。
 
そして結果は…。後白河天皇方の大勝利。崇徳上皇は讃岐に流され、藤原頼長は流れ矢に当たって憤死。平忠正、源為義は斬首となりました。ちなみに、隠岐に 流された後の崇徳はやがて暗殺されて亡くなったとされていますが、その恨みの凄まじさは後々まで語り継がれるほどで、「日本の歴史の中で最大の怨念」と言 われています。この「保元の乱」の後、今度は勝ち組の中で内紛が起き、さらに1159年に「平治の乱」が起きます。今度は平清盛と源義朝(=玉木宏)がぶ つかり、その勝者となった平氏の時代が訪れます。

そんな人間模様の中で、もう一人重要な人物がいます。信西こと高階通憲(=阿部サダヲ)です。親子、兄弟がぶつかり合って自滅していく藤原氏を尻目に、得 子(=松雪泰子)や清盛と組んで存在感を増していった新興貴族で、「保元の乱」の収拾役を務めたのも彼です。第二ラウンドの「平治の乱」で捉えられて殺さ れてしまいますが、一時代を仕切った実力者でした。その役に抜擢されたのですから、阿部サダヲは役者として高く評価されているということになりますね。



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