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2012年1月

2012年1月31日 (火)

★…三枝成彰トークライブ開催

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 さてさて、報告が遅れました。鯖江市文化センターで行われた29日のトークライブです。聴衆は約200人。開演前に三枝さんが「鯖江でも100人以上の人が集まってくれるんだ、予想より多いな。僕の話を聞きに、それだけの人が集まってくれたんだ…、ならば、今の話からしようよ、政治の話から…」。それで考えていた組み立てを捨て、好きにしゃべってもらうことにしました。

 「田中さんがオペラの資料を酔っ払ってなくしてしまって…」という話にして、まずは今の社会の閉塞状況についての話からスタート。2日前に鳩山元首相と会った時の話や政治の裏話などが炸裂、会場の人たちにも普段あまり聞けない話で喜んで貰えたと思います。不満に対して「もっと声を上げないと…」と何度も言っていたことが印象に残りました。最後に聴衆からの質問を受け付けて、終わったのが夕方5時半。なんと3時間半もの長丁場となりました。

 終わってからもまだまだ話したりないらしく、本やCDにサインしながら、会場の人たちと楽しそうに語っていました。公演後は東尋坊温泉で食事をしたのですが、その席で「いや、まだ話したりないな。もう4時間くらいは話ができるよ…」。これには周りは唖然呆然です。ということで、夜が更けるまで、三枝さんの熱弁はなかなか止まりませんでした。

 1000円という低価格で実験的に始めた今回の「公開インタビュー:アーティスト・トゥデイ」ですが、ぜひ来年もまたやりたいと思います。来年はあるベテラン俳優を考えています。お楽しみに!


2012年1月25日 (水)

★…聞き直したい、野田首相のシロアリ演説

 世の中、本当に便利になりました。新聞社時代の後輩から言われて映像を探したら、これがネットに山のようにアップされているのです。何の映像化と言えば、これ。首相就任前の野田議員の「シロアリ演説」の映像です。これを見ると、今の民主党政権がやろうとしていることが、かつて野田議員が言っていたことの真逆をめざしていることが一目瞭然です。

 ネットがなかった時代は、普通の人が政治家の過去の発言を振り返ってみるということはなかなか大変な作業だったのですが、今はすぐに見つけ出すことが出来るようになりました。この映像も、再生される数が全国で100万回を超えるような状況で、昨年の尖閣列島の事件の時もそうでしたが、今はこういう形で情報が瞬時に伝わる時代です。メディアのあり方が、大きく変わってしまいました。

 ところで、この演説自体は非常にいい演説です。演説でも触れているように、「シロアリ」に食われるごとく、彼らに流れているお金は半端な額ではありません。「日本の公務員の、国民一人あたりの数」は、実は先進国の中では少ない方です。問題は「いつまでも公の世話になっている人=財団などに天下っているOBのような人たち」を間接的に国が養っていることに大きな問題があるのです。そこにメスを入れない限り、税金の出血はいつまでも止まりません。





2012年1月16日 (月)

★…阪神大震災から17年

 あすで阪神淡路大震災から17年です。きっと、無念だったでしょう。6434人の犠牲者の冥福を改めて祈ります。震災を機に人生が大きく狂ってしまった方も多いと思います。そのことを忘れず、何はともあれ日々健康に過ごすことが出来る幸せに改めて感謝したいと思います。

 当日、どういうわけか早く目が覚めたことをよく覚えています。それで取り敢えずいつもより早く出社したのですが、新聞社といえども最初のうちは情報も少なく、詳しい被害などが解ってきたのは午後になってからでした。

 当時、私は皇室の担当。実はその日は、今は亡き高円宮殿下が岐阜で行われる音楽祭の開幕コンサートにお出かけになる予定で、私もそれに同行して取材することになっていました。そこに、あれだけの震災です。しかし、夕方から新幹線が名古屋まで動いたことで、コンサートはとり止めにはならず、上司からも同行の許可が出て現地に向かったのです。当然ながら、現地でも震災の話でもちきりです。殿下もコンサートの冒頭、犠牲者へお悔やみの言葉を述べ、黙祷してコンサートは始まりました。

 それからしばらくして、実際に現場に行くことに。天皇、皇后両陛下が被災地を訪問するのに同行したのです。震災から2週間後の、1月31日のことです。前日の30日に新大阪まで新幹線で行き、翌31日の朝から阪急電車で西宮まで行いったのですが、その電車の中からの風景は今でも覚えています。武庫川を渡った途端、両脇が急に青くなったのです。壊れた家にかけられていたブルーシートの色でした。

 西宮からは会社で借りた車で動いたのですが、幹線道路が大渋滞していて動きが取れず、いったん大阪本社に戻って淀川河畔からヘリコプターでメリケン広場に移動、そこから改めて車で移動しました。皇室の取材の場合、マスコミ各社は「プール取材」という、合同取材をすることが多いのですが、この時も、各社の記者が両陛下の訪問先にそれぞれ散らばっての取材となりました。記者たちはそこで見たこと聞いたことをメモにまとめて提出、どの社もそのメモに書かれた内容は自分の記事に自由に使って良いという方法です。

 その時の、私の受け持ちは火災で焼け野原となった「長田」でした。時事通信の記者と二人、ドラム缶の日に当たりながら両陛下の到着を待ちましたが、小雪舞い散る当日の天候のみならず、荒涼としたその「長田」の風景に、寒さが身に染みたことも覚えています。その中で人々を励ます両陛下。今回の東日本大震災もそうですが、こうした両陛下のいち早い訪問が、きっとたくさんの人たちを支えたことは間違いありません。

 この時の、両陛下の訪問の後、皇太子ご夫妻の被災地訪問にも2度同行しました。その時、改めて車で住宅街も回りました。すると、3軒に1軒くらいの割合で家がつぶれていました。きっと地震の振動の波が当たった家が倒壊した、ということなのでしょう。昨年の秋、その近くを通りましたが、そこにあの時の風景はもうありません。人間のたくましさに少しうれしくなりました。


2012年1月15日 (日)

★…半世紀も生きてしまった


 きょう15日は、実は私の誕生日です。ついに大台の50歳、半世紀も生きてしまったのだという想い、それについに親父の歳を超えた、という想いが頭をよぎります。店に出ると、ちゃんとケーキが用意されていました(ありがとう!)。

 そのローソクがまた面白いのです。そう、数字の形をしているのです。きっと、寿命が延びた今の時代は、いくつになってもケーキでお祝いをしているのでしょうね。これなら何十本もローソクを立てなくて済みますからね。

 そこへ登場したのが、「重兵衛」のマスターです。しかも、若狭湾から直送されてきたばかりの牡蠣を持ってきてくれたのです。バターを垂らした、酒蒸しの美味しかったこと。誕生日プレゼントして、美味しく頂きました。最近はフグが美味しいと評判の若狭湾ですが、小粒で味の濃い牡蠣にはこれからも注目です。

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2012年1月14日 (土)

★…なぜか、ダーツ大会!?


 いつも閑古鳥が鳴いている店なのですが、どういう風の吹き回しか、きょうはとてもたくさんのお客さんが来ました。早い時間は久しぶりのK夫妻、1ヵ月もご無沙汰だったS顧問(入院していたそうです)、それに常連のF君のグループ、そこに私が「サントラの花道」という番組のアシスタントをしてくれているT女史も加わりました。さらに日付変わって、“雫石の小日向文世”ことN君とその弟分のS君、それに常連のM社長とその店の女性3人と、誠に賑やかな一日でした。

 中でも、F君率いる女性7人組の元気で賑やかなこと。結局、私も混じってダーツゲームをやることになりました。店にはT医師が開店祝いにくれた本物のダーツボードがあります。ゲームは最初、私の独走で始まったのですが、回を繰り返すたびに女性陣の得点が急伸、やがて「メシタロウ」がトップを独走、そして最後には、なんと誰もが想像していなかった大穴が登場して一気に抜き去って優勝してしまいました。

 終わってみれば、いつの間にかダントツのビリだったF君にまで抜かれ、私は下から二番目という不甲斐ない成績。とはいえ、久しぶりに汗をかいてわいわい騒ぐのも面白いものです。

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2012年1月 6日 (金)

★…やります、三枝成彰トークライブ

 忘れてました、大事なこと。この29日の日曜日、鯖江市文化センター(0778・52・7430)で、作曲家の三枝成彰(さえぐさ・しげあき)さんを迎えてトークライブをやることになったのです。三枝さんとは駆け出しの記者の頃からですから(横浜総局時代に取材したのがきっかけです)、もう20年の付き合いです。それに3年前に亡くなった友人は、三枝さんの事務所の社長を努め、あれこれ二人でやった関係です。




 それでこの冬、私のところに遊びに来ることになったのですが、せっかく来るのだから、鯖江で何か話していっていってくださいということで、私が質問して話を聞き出していくトークライブに落ち着きました。この企画に文化センターを運営する「comfortさばえ」も快く共催してくれました。

 作曲家というのは「音楽を書く人」のが仕事です。では、なぜ音楽を書くのかと言えば、音楽を通して、社会に自分の考え、意見を表現したいからです。そんな元々が熱い人たちなので、音楽を通して表現することだけでは物足りないのか、しゃべらせたら止まらない、語らせたら朝までという、生まれつきの“発信者”なのです。

 もちろん、三枝さんはその最右翼で、作曲家としての創作活動とは別に、若い頃から「イレブンPM」といった番組の司会者を務めたり、ワイドショーのコメンテーターをしたり、著書を書いたり。そして今は、文化人の集まりである「文化戦略会議エンジン01(ゼロワン)」の幹事長として、林真理子さんら友人とさまざまな取り組みを行い、色々なイベントを通じて社会を挑発しています。

 今回のトークライブでは、DVDなどを使ってこれまでの作曲家としての創作活動を振り返るのはもちろん、“あれこれ勝手知ったる私が”、色々な角度から過激な質問を浴びせて、三枝さんの人生そのもの、日本人や日本文化への期待、混沌とした社会や政治などについて、熱く熱く語ってもらおうと思っています。

 学生さんでも来てもらえるよう、チケットは1000円と映画より安く抑えました。開場は午後1時、開演は午後2時です。チケットは
鯖江市文化センター(0778・52・7430)の会場受付でも販売していますので、当日は手ぶらで来てもらっても大丈夫です。


★…見応え十分の「坂の上の雲」


 話が前後しますが、年末年始はお客さんの間でNHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の話がよく出ました。私も録画を繰り返し見るほど(今でも!)のめり込んだクチです(最終回の秋山兄弟が亡くなる場面などを除けばですが…)。きら星のごとく出演した主役級の俳優たちの演技がぶつかり合って、密度の濃いドラマに仕上がっていました。

 その主役級の中で、みなさんの印象に残ったのは誰でしょう。私としては、香川照之+菅野美穂の「正岡兄弟」、阿部寛+本木雅弘の「秋山兄弟」、高橋英樹(=児玉源太郎)、柄本明(=乃木希典)、米倉斉加年(=大山巌)、加藤剛(=伊藤博文)、西田敏行(=高橋是清)、竹中直人(=小村寿太郎)あたりが良かったですね。反対に役柄とミスマッチだったと感じたのは、舘ひろし(=島村速雄)、草刈正雄(=加藤友三郎)、赤井英和(=鈴木貫太郎)あたりです。

 しかし、そうした「想定内の名演」を超えて、改めてその存在感が光っていたと感じたのは、旅順港閉塞作戦で戦死した“軍神”広瀬武夫を演じた藤本隆宏、伊地知幸介を演じた村田雄浩の二人です。藤本の質実剛健そのものといった演技、日頃のヘラヘラとしたところが嘘のように消えていた村田の薩摩弁、そして、きらりと光った存在感を示したのが、第7師団の大迫師団長を演じていた品川徹です。

 今回の「坂の上の雲」は、203高地をめぐる攻防戦が一つのクライマックス。なのでどうしても、映画の「203高地」と比べてしまいます。映画では児玉を丹波哲郎、乃木を仲代達矢が演じていましたが、みなさんはどちらに軍配をあげるでしょうか。一部で高橋英樹が時代劇丸出しという意見もありましたが、私の見るところ五分五分の迫力です。

 一方、脇役陣はちょっと物足りませんでした。なにせ私は、密かに門外不出の「脇役列伝」なるものを作っている“脇役フェチ”なのです。なにせ登場人物が多いので、主役級の俳優もさることながら、脇役も半端じゃない数が必要だったはずですから、予算的にも大物脇役をなかなか揃えられなかったのかもしれません。私が「脇役列伝」でピックアップしている中で出演していたのは友安治延・後備第一旅団長を演じた深水三章、有坂成章を演じた矢島健一だけでした。しかも、どちらもほんのちょっと出てくるだけ。もったいない使い方です。

 まあ、それだけ「坂の上の雲」については店で侃々諤々の話で盛り上がったのですが、世の中、上には上がいるもので、「坂の上の雲」のワンシーン、一つの台詞について、事細かく分析をしているブログがあったのです。「すにてんてんすってんてん」というブログなのです。これが実によく分析していて、書かれていることに頷いたり、首を捻ったり、これを読んでドラマを二度楽しむことが出来ました。


2012年1月 3日 (火)

★… 「坂の上の雲」の中の歩兵第36連隊


 年末、NHKのスペシャル・ドラマ「坂の上の雲」が終わりました。説明するまでもなく、司馬遼太郎の代表作として知られる小説「坂の上の雲」を元にしたドラマで、日露戦争をめぐる人物群像、そして日露戦争を通して「明治という時代」が描かれています。

 ドラマ化の話は過去何度もありながら、本人の生前は長くドラマ化が許されなかったこと、ドラマ化が認められてからも脚本を書き始めた野沢尚(私の大好きな作家です!)が自殺してしまったことなど、難産の末に完成した作品です。しかも、小説が描いている世界が大きいため、ドラマも3年にわたって放送されるという破格の規模となりました。しかしその分、内容充実の一言でした。

 その中でも、凄かったのは、やはり旅順要塞をめぐる攻防戦の戦闘場面でしょうか。最近の戦争映画はどれも本当にリアル。今回の「坂の上の雲」の映像も実に迫力十分でした。自ら肉弾となって、とにかく突撃を繰り返しながら敵陣に肉薄していく日本軍。しかし、ロシア軍の守りは堅く、強力な砲火の前になすすべもなく倒れていく。白兵戦(兵士同士が格闘すること)の場面は目を覆いたくなる映像の連続でしたが、戦場の凄惨な様を逃げずに正面から描いていて好感が持てました。そしてそこには、愚直な戦法に頼るしかなかった「あまりに小さな国」日本の姿が浮き彫りになっていました。

 ところで、この旅順攻防戦には、鯖江にあった「歩兵第36連隊」も参加していました。そして、ドラマからも解るように、突撃を繰り返す中で多大の犠牲を出しているのです。鯖江に「第36連隊」が設立されたのは、1896年(明治29年)。日清戦争に勝利した後、軍備増強のため全国に6個師団が新たに設立され、金沢にも「第9師団」が新たに設立されました。その時、「第36連隊」が鯖江に設立されたのです。

 当時の師団は、おおざっぱに言えば、2つの旅団からできていて、1つの旅団は2つの連隊からできていました。つまり、「第9師団」は4つの連隊で編成されていたわけで、鯖江の「第36連隊」は、第7連隊(金沢)、第19連隊(敦賀)、第35連隊(富山)と共に「第9師団」の一翼を担っていたのです。

 1904年(明治37年)6月、日露戦争が始まると、「第9師団」は乃木希典大将率いる「第3軍」に編入されて中国大陸に向かいます。ドラマの地上戦の主人公こそ、まさにこの「第3軍」でしたね。そして、8月19日の第1次総攻撃の中核を担うのです。ところが、この戦いからして2代目の連隊長の三原重雄大佐が戦死するという激戦。その後も、9月末の龍眼北方角面堡の攻略戦、12月末の二龍山砲台の攻略線に投入されます。旅順攻略の後も、05年2月の奉天会戰に参加、「第3軍」の外翼を受け持ちました。

 今、鯖江に「第36連隊」があったことすら知らない人たちが多いことに驚きます。戦争があったことに触れると面倒だから極力語ることを避けるようにしてきた戦後教育の弊害でしょう。かつて地元の先輩たちが、あの旅順攻防戦の先頭に立っていたのだということをもっと知って欲しいと思います。なぜこうまで日本人は英霊を大事にしないのでしょう。「日本人が憧れる、大好きな欧米」では考えられないことです。彼らが国のために自ら身を賭して戦ったこと、それは永く我々の胸に留めておきたいものです。これから「第36連隊」のことも、時折書いていこうと思います。



2012年1月 1日 (日)

★…新年おめでとうございます

 新年、あけましておめでとうございます。今年も、よろしくお願い致します。
体調を崩したり、東京に出かけることが多かったり、コンサートが続いたりでしばらくブログが書けませんでしたが、年が変わったのを機になんとか頑張ろうと思います。

 さて、店の年越しは今年も、お客さんたちに囲まれて、になりました。紅白歌合戦を見てから、年越しソバをみんなで食べました。常連のT院長だけ急患で急きょ離脱となりましたが、店にいたお客さんたちがそれぞれ暖かいソバ、冷たいソバに舌鼓を打ちました。ソバは常連のCさんが昼に届けてくれていた手打ちの逸品で、みんな大満足です。

 その後、年明けを待って、常連の平野さんがわざわざ持ってきてくれた純米大吟醸「団」で乾杯して新年を祝いました。これがまた旨くて(彼は腕のいい杜氏さんです!)、なんとも贅沢な年明けになりました。

 はてさて、今年はどんな年になるでしょうか。今年もカウンター越しに、世界の変化を見つめていきたいと思います。

P.S.
パーソナリティーをしている「たんなんFM79.1」の番組「サントラの花道」はいつも通り、きょう元旦の午後1時半から放送されます。今回は個人的に大好きなフランスの作曲家、ジョルジュ・ドルリューを紹介しています。



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